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福岡高等裁判所 昭和58年(う)333号 判決 1988年6月28日

控訴人 検察官

被告人 山内藤吉 外二名 弁護人 佐伯千仭 外一名

検察官 岩崎榮之 外一名

主文

原判決を破棄する。

被告人山内藤吉を禁錮二年に、被告人酒井實を禁錮一年に、被告人園田正満を禁錮一年六月に処する。

被告人三名に対し、この裁判確定の日から三年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用の全部及び当審における訴訟費用中、証人古閑光男、同片岡秀寿、同谷口肇、同細井三郎(但し、昭和六一年一一月二六日及び同年一二月一五日に支給決定のもの)、同守山正治に各支給した分は、その三分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(理由目次)

第一  本件の概要

一  公訴事実(訴因変更後の最終訴因)

二  原判決の無罪理由の要旨

三  控訴趣意の要旨

第二  当裁判所の判断

一  本件注意義務の前提となる事実について

1 当裁判所において認める事実関係

2 本件火災が店舗本館三階店内に延焼した時間について

3 店舗本館の改修工事の状況について

二  本件の注意義務のうち、当裁判所において肯認することのできる結果回避措置について

三  本件の結果回避措置をとるべき義務を負う者について

四  被告人山内藤吉の刑事責任について

1 被告人山内藤吉の注意義務について

(一) 被告人山内藤吉が本件注意義務を負うべき立場にあつたことについて

(二) 被告人山内藤吉が本件結果の発生を予見し、その予見に従つて結果の発生を回避することが可能であつたことについて

2 被告人山内藤吉の本件注意義務違反と結果発生との間の因果関係について

3 まとめ

五  被告人酒井實の刑事責任について

1 被告人酒井實の注意義務について

(一) 被告人酒井實が本件注意義務を負うべき立場にあつたことについて

(二) 被告人酒井實が本件結果の発生を予見し、その予見に従つて結果の発生を回避することが可能であつたことについて

2 被告人酒井實の本件注意義務違反と結果発生との間の因果関係について

3 まとめ

六  被告人園田正満の刑事責任について

1 被告人園田正満の注意義務について

(一) 被告人園田正満が本件注意義務を負うべき立場にあつたことについて

(二) 被告人園田正満が本件結果の発生を予見し、その予見に従つて結果の発生を回避することが可能であつたことについて

2 被告人園田正満の本件注意義務違反と結果発生との間の因果関係について

3 まとめ

七  結論

第三  破棄自判

一  罪となるべき事実

二  証拠の標目<省略>

三  法令の適用

四  一部無罪の理由

五  量刑の理由

本件控訴の趣意は、福岡高等検察庁検事難藤務提出の熊本地方検察庁検察官検事小野澤峯藏作成名義の控訴趣意書、福岡高等検察庁検察官検事吉川壽純作成の訂正申立書及び同検察庁検察官検事長澤潔、同吉川壽純連名提出の控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、弁護人佐伯千仭提出の答弁書及び答弁書補正申立書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一本件の概要

一  公訴事実(訴因変更後の最終訴因)

被告人山内藤吉は、熊本市下通一丁目三番一〇号所在の百貨店を営む株式会社太洋の取締役人事部長として、同社の従業員らの安全及び教育に関する事務を所管していた人事部の事務を統括し、かつ、防火対象物である同社の店舗本館(鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上七階、一部九階、塔屋四階建、総床面積一万九〇七四平方メートル、以下「店舗本館」という。)について、消防法八条の管理権原を有し、同法一七条の関係者である同社代表取締役山口亀鶴を補佐して、同社の防火管理者である被告人園田正満らを指揮監督し、若しくは自ら店舗本館につき消防計画を作成し、当該計画に基づく消火、通報及び避難の訓練を実施し、火災発生時における従業員及び来客の安全を図るべき業務に従事していたもの、被告人酒井實は、同社の営業部第三課長であつて、店舗本館三階の火元責任者であるとともに、同階の自衛消防隊責任者として、受持ち区域内における火災の予防及び消火、通報、避難の訓練の実施並びに火災発生時には部下を指揮して消火、通報、避難誘導などを行う業務に従事していたもの、被告人園田正満は、同社営繕部の係員であるとともに、同社の防火管理者として、前記山口亀鶴、被告人山内藤吉及び同社の消防に関する事務を事実上所管していた営繕部を統括し、かつ、右山口亀鶴を補佐して、被告人園田正満を指揮監督し、若しくは自ら店舗本館の消防の用に供する設備などの点検及び整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理、警報設備及び避難設備などを設置する業務に従事していた同社常務取締役山内友記の指揮監督を受け、店舗本館について、消防計画の作成、当該計画に基づく消火、通報及び避難の訓練の実施、消防の用に供する設備などの点検及び整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理、警報設備及び避難設備の設置その他防火管理上必要な業務に従事していたものであるところ、昭和四八年一一月二九日午後一時一五分ころ、営業中の店舗本館南西隅所在の避難階段であるC号エレベーター外周階段(以下「C号階段」という。)の二階踊場から三階への上り口付近から出火し、火は上層階に燃え拡がり、店舗本館の三階以上(床面積合計一万二五八一平方メートル)の内部がほぼ全焼するに至つたが、営業中の店舗本館には、不特定多数の客及び多数の従業員を収容していた上、右火災当時、店舗本館北側の増築工事と店内の防火設備工事とが施工中で、既設の北側非常階段が撤去され、避難階段が西側に偏在する状態となり、店舗本館の窓は、その殆どがベニヤ板などで覆われ、店舗内には可燃性商品が大量に陳列されていたので、万一火災が発生した場合には、容易に他に延焼し、避難誘導などに適切を欠けば、多数の生命、身体に危害を及ぼす危険のあることが当然予測されたのであるから、火災発生時における客及び従業員らの生命、身体の安全を図り、死傷者の発生を未然に防止するため

被告人山内藤吉は、消防計画を作成し、火災が発生した場合にはすみやかに消火し、早期に従業員らに通報して安全に避難できるよう当該計画に基づいて各種の訓練を実施すべき業務上の注意義務があり、かつ、所轄熊本市消防局などから、再三にわたつて、消火、通報及び避難の各訓練の実施を求められていたにもかかわらず、これを怠つた過失

被告人酒井實は、平素から部下従業員に対し、消火、通報及び避難の訓練を実施し、避難階段に出火延焼の原因となる商品などを放置させないようにし、また、火災発生時には、直ちに部下従業員を指揮して迅速的確な初期消火を行い、適宜防火シヤツターを閉鎖するなどして延焼を防止し、全館に火災の発生を通報して客及び従業員に避難の機を逸せしめない措置を講ずべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右各訓練を実施せず、三階売場の可燃物である寝具などの商品を避難階段であるC号階段二階踊場から三階と四階の中間第一踊場にかけて山積させ、かつ、本件出火直後の午後一時二〇分ころ、火災発生を知らされてC号階段に赴いた際、同階段の二階踊場から三階への上り口付近で発生した火災が同階段壁際に置かれていた商品入りダンボール箱を次々に焼毀して、同階段二階と三階の中間を過ぎた付近まで燃え拡がつている状況であつたのに、三階売場の同階段入口付近から一見したのみで火煙の程度及び状況を十分確認せず、消火器のみで容易に消火できるものと軽信し、屋内消火栓の使用に思い及ばず、単に簡便な消火器のみで消火しようとして初期消火に失敗した上、全館に火災の発生を通報せず、また、すみやかにC号階段入口の防火シヤツターを閉鎖する機を逸して前記のとおり延焼させた過失

被告人園田正満は、消防計画を作成して、当該計画に基づく消火、通報及び避難の訓練を実施し、自動火災報知設備及び前記工事期間中、同工事に伴い撤去された既設の非常階段に代る避難階段を設置し、その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備を設置し、また、避難階段に出火延焼の原因となる商品などを放置させないようにすべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、右各訓練を実施しないのみならず、右警報設備及び避難設備を設置せず、また、避難階段であるC号階段に商品を放置させていた過失

並びに前記山口亀鶴の防火管理者らを指揮監督して消防計画の作成及び当該計画に基づく消火、通報、避難の訓練の実施懈怠及び自動火災報知設備、前記の北側非常階段に代る避難階段の設置懈怠その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備を設置しなかつた過失並びに前記山内友記の自動火災報知設備及び前記の北側非常階段に代る避難階段の設置懈怠、その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備を設置しなかつた過失の競合により、前記出火の際、早期に消火できずに延焼させ、客や従業員らに対する火災発生の通報の機を逸し、適切な誘導避難をさせることができず、逃げ場を失わせたあげく、火煙が店内に充満したことによつて、店内の客及び従業員らのうち、別表第一記載のとおり、新美亀喜(当時六五年)ら一〇四名を一酸化炭素中毒などにより死亡させ、別表第二記載のとおり、野田三津恵(当時六六年)ら六七名に対し、全治不明ないし加療二日間を要する一酸化炭素中毒症、骨折、挫創、打撲傷などの各傷害を負わせたものである。

二  原判決の無罪理由の要旨

原判決は、

(1)  本件火災当時の株式会社太洋の本店百貨店店舗本館は、鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上七階、一部九階建、塔屋四階で、床面積合計が一万九〇七四平方メートルで、地階が食料品売場、一階が靴、化粧品、装身具、肌着等の売場、二階が紳士服等の売場、三階が寝具、呉服等の売場、電話交換室、四階が婦人衣料品等の売場、五階が書籍、文具、スポーツ用品等の売場、六階が家具、家庭用品、金物等の売場、七階が食堂及び結婚式場、催物会場となつており、本件火災当時、同会場では北海道物産展が行われていた。

本件火災当時は、店舗本館北側に桜井企業株式会社との共同ビルを建設中で、右増築部分は、地下一階、地上八階、塔屋三階建、床面積合計六九〇一・一〇平方メートルで、七階床面までのコンクリート打ちが終了した段階であつた。

店舗本館の階段は、南西隅に地階から屋上まで通ずるエレベーターを取り巻く螺旋階段であるC号階段、C号階段の東側に隣接して一階から四階までのD号階段(西階段)、北西隅に地階から塔屋まで通ずる従業員階段、従業員階段の東側に便所を隔てて地階から九階(但し、八、九階部分は工事中で、七階上り口に工事用の天幕が張りめぐらしてあつた。)まで通ずる中央階段及び七階から屋上へ通ずる階段の合計五階段が存し、本件増改築工事開始前に店舗本館北東側に建物から突き出した形で存在していた七階から一階まで通ずる非常階段及び北西側従業員階段裏側に存していたベランダは、本件増改築工事に伴つて既に撤去されていた。

また、店舗本館には荷物運搬用エレベーター一基と客用エレベーター三基が存し、建物ほぼ中央部に上り下りのエスカレーターが地階から七階まで通じていたが、本件火災当時はエスカレーター回りの防火シヤツター改造工事のためエスカレーターは四階までしか運転されていなかつた。

(2)  本件火災当時、店舗本館の各階に設置されていた防火シヤツターは、中央階段各入口、C号階段各入口、D号階段各入口、中央エスカレーター回り及び七階調理場などであるが、C号階段及び中央エスカレーター回りのシヤツターについては、電動式(押しボタン)、温度ヒユーズ付き、煙感知機付きのシヤツターに改造中であり、エスカレーター回りのシヤツターについては一階から六階まで(但し、六階は一部工事中)、C号階段については二階から五階までそれぞれ電動式、温度ヒユーズ付きのシヤツターに改造済みであり、その余の階段前のシヤツターは、本件増改築工事前に、電動式、温度ヒユーズ付きのものが設置済みであつた。しかし、煙感知機は本件火災当時いずれも完成しておらず、作動しない状態であつた。

また、店舗本館C号階段二階、四階、七階の各防火シヤツターは常時閉鎖されており、六階の防火シヤツターは営業中溝に角材を入れて降下できないようにしてあつた。

(3)  昭和四八年一一月二九日午後一時一五分ころ、店舗本館C号階段の二階から三階への上り口付近において、火災が発生したが、その原因は不明である。

本件火災は、店舗本館C号階段に間断なく積み重ねてあつた寝具などの入つたダンボール箱を次々と焼毀して午後一時二二分ころには三階店内に侵入し、同階段入口から西側壁に沿つて陳列してあつた婚礼布団(原判決二二丁表に「座布団」とあるは「婚礼布団」の誤記と認める。)に燃え移り、その後主に中央エスカレーターの方に向かつて燃え拡がつて三階店内のほぼ西側半分を完全に焼毀した。

店舗本館三階からの炎は、主に中央エスカレーター及びD号階段を伝つて四階に侵入して店内商品をほぼ焼き尽くし、主に中央階段(C号階段の五階入口の防火シヤツターは温度ヒユーズが作動してC号階段からの火災が五階店内に延焼する前に降下した。)を通り五階に侵入して同階店内のほぼ全部を焼毀し、さらに、中央階段及び中央エスカレーターなどから六階店内に燃え拡がり、そして、当初中央エスカレーター及び中央階段から七階店内に燃え移り、やや遅れてC号階段の炎が閉鎖されていた防火シヤツターの横の開放中の防火戸の店内側の木製ドアを焼毀して店内に燃え拡がり、その後、工事中の八階(旧文化ホール)へと燃え移り、出火後約八時間にわたつて燃え続けて午後九時一九分ころようやく鎮火した。

(4)  本件火災当時、店舗本館に在館していた従業員、客及び工事関係者の総数は、一〇〇〇名足らずであるところ、本件火災により、原判決本文中で訂正された別表第一記載のとおり(但し、59「辻洋子」は原審終結前に検察官の申出により訂正されている。原判決の訂正はもともと不要のものである。)新美亀喜ら一〇四名が一酸化炭素中毒などにより死亡したが、被災場所はすべて三階ないし七階であり、その死因は一酸化炭素中毒に基づく脳病変による全身衰弱によつて昭和五五年一二月一六日入院先の国立熊本病院で死亡した井本義盛を除き、いずれも有毒ガス、一酸化炭素中毒、酸素欠乏及び窒息などであつて、各階の死亡者の内訳は、三階一名、四階四一名、五階一名、六階三一名、七階三〇名である。

また、別表第二記載のとおり野田三津恵ら六七名が負傷しているところ、その受傷者を態様別にみると、避難の途中階段で転倒するなどして挫創等の外傷を負つた者が一一名、煙に巻かれて中毒性気管支炎、一酸化炭素中毒、急性ガス中毒等の傷害を負つた者が二二名、同様に急性ガス中毒の傷害を負うとともに避難の途中挫創等の外傷を負つた者が一〇名、煙に追われて五階南東隅窓からアーケード上に転落しあるいはロープで避難する途中挫創等の外傷を負つた者八名、同様に六階南東隅窓から同様にアーケード上に転落するなどして骨折等の外傷を負つた者が九名、六階北側室内装飾品売場の窓から増築工事現場へ避難する際一酸化炭素中毒、挫創等の傷害を負つた者が七名である。

(5)  本件火災の第一発見者は、店舗本館三階寝具売場従業員岡本妙子、宮崎(旧氏本田)千代子及び小堀咲子の三名であつて、その時間は午後一時二〇分ころである。岡本妙子らは店舗本館C号階段の煙を発見し、小堀と宮崎の両名が同階段の三階踊場に駆けつけたところ、二階から三階に通じる第三踊場(以下、「西南角踊場」という。)付近に炎や煙があつたため、「火事」と叫ぶなどし、これを聞いた寝具売場の従業員岡本二三男がC号階段三階踊場に駆けつけて同階段の下の方を見ると、西南角踊場付近で燃えくずが飛び散るなどして燃えていた。

岡本二三男は、小堀から「荷物、荷物」と言われて店舗本館C号階段の三階踊場のダンボール箱を引き出しにかかつた。岡本二三男の次に店舗本館C号階段の三階踊場に駆けつけた榎田満善は、岡本二三男の肩越しにC号階段の下の方を見ると、西南角踊場付近のダンボール箱に火がついてかなり燃え上がつていたため、C号階段の防火シヤツターの昇降スイツチの傍らに置いてあつた消火器を持つて来て五、六回叩いたが作動しなかつたので、C号階段三階の踊場のダンボール箱を引き出しにかかつた。しかし、岡本二三男や榎田らがダンボール箱を二、三個引き出すか出さないうちに下から急に炎が上がつてきたので、同人らは三階店内に戻つた。

他方、被告人酒井實は、店舗本館三階の実用呉服売場で宮崎から火事の知らせを受け、C号階段入口付近まで行つて下の方を見ると、ダンボール箱一個が燃えているように見えたので、付近にいた従業員に対し消火器を持つてくるように命じるとともに、C号エレベーター前の防火シヤツター付近のダンボール箱を動かし、さらにC号階段とD号階段前にあつた座布団棚を移動させようとした際、炎が三階店内に吹き込み同店内西側壁に沿つて陳列してあつた婚礼布団に燃え移つてきたので、「シヤツター」と叫んでシヤツターを降ろすように指示したところ、岡本二三男がC号階段の防火シヤツターの降下ボタンを押して降下させた(なお、右防火シヤツターは途中で一旦止まつたが、最終的には最後まで降りているのであつて、これがいつ動き出したかについては確定することができない。)。

宮崎は、被告人酒井實に火事を知らせた後、店舗本館三階の寝具売場の電話を使つて三階西北隅にある電話交換室に火災の発生を通報した。ところが、電話交換室主任の木村礼子は、業務用放送設備による火災発生の通報を逡巡し、人事部や社長山口亀鶴に対する連絡に手間取つているうちに、電話交換室にも煙が侵入してきたため、結局、木村ら電話交換手は何らの通報もしないままで電話交換室から退避した。

このため、店舗本館全館に対する火災発生の通報はなされず、四階以上の各階ではすべて階段等から侵入してきた煙などによつて初めて火災の発生を覚知したが、その覚知時間は、四階が午後一時二二分過ぎ、五階が午後一時二一分ころ、六階が午後一時二一分以降、七階が午後一時二五分過ぎであり、また、三階から七階までの在館者に対する組織的避難誘導もなされなかつた。

(6)  店舗本館の従業員階段及び中央階段への煙の侵入は、午後一時二五分以降であり、少なくとも同時刻までは三階ないし七階の各在館者は、従業員階段及び中央階段を利用して一階に避難することが可能であつた。

そして、店舗本館の構造及び本件火災当時の在館者数が一〇〇〇名足らずであつたことを合わせ考慮すれば、三階から屋上までの各階在館者が無事一階まで避難するのに要する時間は、最大に見積つても四分三〇秒であり、安全階である二階までの避難であれば三分三〇秒しか要しない。

(7)  本件火災当時の株式会社太洋では、消防法、同法施行令及び同法施行規則によつて防火管理者を定めて店舗本館について消防計画を作成させ、これに基づく消火、通報及び避難の各訓練を実施し、その他防火管理上必要な業務を行わせることが義務づけられており、右消火、通報及び避難の各訓練は定期的に行い、避難訓練については年二回実施することが必要であつたところ、熊本市消防局からの再三の指摘にもかかわらず、同社では消防計画が作成されておらず、また、従業員に対する消火、通報及び避難の訓練が実施されたこともなかつた。

(8)  本件火災当時、店舗本館に消防法令上設置が義務付けられていた消防用設備及び現に設置されていた消防用設備は別表第三記載のとおりである。

以上の事実を認定し、右の事実関係によると、本件火災に際し、自動火災報知設備が作動して火災をベルによつて知らせるとともに、火災覚知後すみやかに店内放送を通じて店舗本館全館に火災の通報と避難を呼び掛け、避難誘導が行われたならば、三階から七階までの在館者は全員無事に避難することができ、前記(4) の死傷の結果は回避することができたはずであり、株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴は、店舗本館の管理権原者として、法定の資格を備えた防火管理者を選任し、これを指揮監督して、店舗本館について消防計画の作成、消火、通報及び避難訓練の実施等の防火管理上必要な業務を行わせるとともに、消防法一七条により防火対象物の関係者として、消防用設備等の設置及び維持をなすべき注意義務を負うものであるところ、後記のとおり同社に実質的な地位権限を有しその業務を遂行する防火管理者がいないことを知りながら、そのまま放置し、消防計画の作成をはじめ各訓練の実施や消防設備の確保等を怠つた過失があるとしたが、被告人三名に対しては無罪を言い渡した。

被告人三名に対する無罪理由は以下のとおりである。要するに、原判決は、消防法令が防火管理業務の特性から、防火管理業務に関する指揮命令系統を企業の一般業務の指揮命令系統から切り離し、管理権原者-防火管理者-火元責任者その他の防火管理業務従事者という別個独立の指揮命令系統とし、それぞれ管理権原者や防火管理者の責務につき規定しているのであつて、消防法令上消防計画を作成してその計画に基づいて消火、通報及び避難の訓練を実施する責務は防火管理者にあるとしたうえで、まず、被告人酒井實については、同被告人は店舗本館三階売場の課長であるが、消防法令に照らすと売場課長であることから直ちに防火管理の責務は生じない。また、被告人酒井實は店舗本館三階の火元責任者であるが、火元責任者の責務としては火気の取締りにあると解するのが相当であつて、消火、通報避難の訓練の実施及び火災発生時に部下従業員を指揮して消火、通報、避難誘導を行う業務に従事していたものとはいえず、さらに、同被告人が株式会社太洋より店舗本館三階の自衛消防隊長としての防火管理業務を委託又は命令されて実質的に右業務に従事していたとも認められず、結局、同被告人には、検察官主張のような業務上の注意義務は認められず、過失はないというのである。

次に、被告人園田正満については、同被告人は昭和四七年一二月一五日付けをもつて熊本市消防長宛に株式会社太洋の防火管理者とする選任届が提出されているが、防火管理者が刑法二一一条にいう業務に従事するというためには、管理権原者によつて法令上の選任、届出がなされただけではなく、右選任、届出がなされた者が管理的又は監督的な地位にあり、当該企業等より法令上の防火管理業務を委託又は命令されて実質的にもその業務に従事していることを要すると解するのが相当であるところ、同被告人は営繕課の一従業員にすぎず、防火管理に適した権限を与えられておらず、実質的に防火管理に従事していたとも言えず、いわば消防署との窓口的役割を果たしていたに過ぎないので、同被告人には検察官主張のような業務上の注意義務はなく、過失はないというのである。

そして、被告人山内藤吉については、消防法令に照らして企業組織における取締役が人事部長であるということから直ちに防火管理者の責務が生じるものではない。被告人山内藤吉は、株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴から防火管理者に選任されたことは形式的にも実質的にもなく、また、同被告人は取締役人事部長にすぎず、管理権原者である山口亀鶴から店舗本館の維持、管理について委任を受けたと認めるに足りる証拠もなく、人事部の職務とされる従業員の安全及び教育の中には、消防に関する業務は含まれないので、同被告人には検察官主張のような業務上の注意義務はなく、過失はないというのである。

三  控訴趣意の要旨

検察官の所論は要するに、原判決は、

(1)  百貨店における防火管理業務は消防法令上の管理権原者、防火管理者及び火元責任者のみが負うものではなく、これらの者以外の百貨店の役員、従業員も負つているにもかかわらず、これがないとした点

(2)  被告人山内藤吉の刑事責任について、同被告人は、人事部長として従業員らの安全及び教育に関する事務を統括し、従業員及び客の安全のため、火災の際の消火、通報及び避難訓練等を実施すべき職責を有していたにもかかわらず、これがないとした点、取締役人事部長として条理上、代表取締役山口亀鶴を補佐し、またはその委任を受けて防火管理者その他の従業員を指揮監督し、消防計画の作成、同計画に基づく消火・通報及び避難訓練の実施等の防火管理業務に従事していたにもかかわらず、右業務に従事していないとした点

(3)  被告人酒井實の刑事責任について、同被告人は、営業部第三課長として店舗本館三階の売場責任者の地位にあり、その職務権限には火災予防及び災害発生時における客、従業員の避難誘導などの防火管理業務が含まれていたほか、火元責任者兼自衛消防隊責任者としても右の防火管理業務に従事していたにもかかわらず、右業務に従事していないとした点、本件火災時において、消火栓使用による消火活動をして延焼を防止すべき注意義務、C号階段三階の防火シヤツターを閉鎖して延焼を防止すべき注意義務及び全館放送ができる電話交換室に連絡し、同室の電話交換手から全館内に向けて火災発生の放送をするように指示すべき注意義務にそれぞれ違反した点

(4)  被告人園田正満の刑事責任について、同被告人は、消防法上の防火管理者としても、また、営繕部係員としても店舗本館の防火管理業務に従事していたにもかかわらず、右業務に従事していないとした点において事実を誤認し、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れないというのである。

第二当裁判所の判断

一  本件注意義務の前提となる事実について

1 原判決が理由において認定している事実関係、すなわち、前記第一の二の(1) ないし(8) の諸事実については、以下に述べる点を除き、原審で取調べた関係証拠から認めることができる(但し、別表第一のうち、番号8の村山きく及び番号14の西村一子の各死亡場所について「右同」(太洋百貨店四階従業員便所付近)とあるを「同百貨店四階北西隅客用エレベーター付近」に、番号9の吉田悦子及び番号15の緒方美智子の各死亡場所について「右同」とあるを「同百貨店従業員便所付近」に、番号99の「原田美芳」とあるを「原田美芳」に、また、別表第二のうち、番号15の岩崎輝久の病名に「左側腕部手指切創・右腕関節部縫合創」とあるを「左側腕部手指切創」に、番号21の「中村妙子」とあるを「中竹妙子」に、番号23の「本田万治」とあるを「本田萬治」にそれぞれ訂正する。)。

(一) 本件火災の出火推定時間について

原判決が認定した前記第一の二の(3) の事実中、本件火災の出火推定時間が午後一時一五分ころであるとの点については、次の理由により左袒することができず、右の出火推定時間については不明というべきである。すなわち、

(1)  原審証人吉村(旧氏岡村)良子の尋問調書によると、同女は、本件火災当時店舗本館一階のネクタイ売場に勤務していたものであつて、店舗本館の五階から渡り廊下により接続されている第一別館六階にある女子社員食堂で食事を終え、午後一時一〇分ころ右食堂を出て店舗本館C号階段を通つてネクタイ売場に戻つたが、その途中の同階段の三階付近で顔見知りの富岡某ほか二名とすれ違つたこと、吉村はC号階段を通過したときには、何ら異常を感じておらず、ネクタイ売場に戻つて二、三分したころ、中年の女性が「上から火が出た」などと言いながら中央階段から下りて来るのを見たことが認められる。

また、原審第一九回公判調書中の証人谷川(旧氏上村)ゆみ子の供述部分及び原審証人竹村(旧氏柿原)カズ子の尋問調書によると、本件火災当時、谷川は店舗本館一階のハンドバツグ売場に、竹村は同階のヤングマンコーナーにそれぞれ勤務していたこと、谷川は同僚の富岡から食事に誘われたときに腕時計を見て午後一時五分であるのを確認し、竹村を誘つて地階に買い物に行き、揚物、サラダ及びパンを買つたうえでC号階段を通つて前記女子社員食堂に行つたが、その途中のC号階段で前記吉村良子ほか一、二名の女子従業員とすれ違つたこと、谷川及び竹村の両名は、C号階段を通過したときには何ら異常を感じておらず、右女子社員食堂に着いて暫くした食事中に火事ということを聞いたことが認められる。

ところで、吉村が前記女子社員食堂を出た時間については、同女の前記尋問調書中には、弁護人の、証人らは女子社員食堂に何時ころまで居ましたかなどの質問に対し、「確か一時一〇分になるので下りようかと言つて戻つたと思いますので、一時一〇分過ぎまで居たと思います。」「私の腕時計を見た時間です。」「食事に行く時も戻る時も、いつも時計を見ていました。」「一時一〇分前後ということで下りました。」との記載があり、検察官の「一時一〇分頃だということだが、はつきり時計を確認していますか。」との質問に対しては、「確認していると思いますが、そのように言われるとはつきりわかりません。」と答えているものの、続く検察官の「火災直後、警察で調べを受けた時には時計を確認していると供述しているが。」との質問に対し、「そういつているなら間違いありません。」と答えていることが記載されており、これらの記載に照らすと、吉村が右女子社員食堂を出た時間は、午後一時一〇分ころと認定することができる。

谷川が富岡から食事に誘われた時間が午後一時五分であることは、前記のとおり谷川が自己の腕時計を見て確認しているので、これを信用することができるが、同女が店舗本館の地階で買い物をした時間については、同女の前記供述部分には、「大体五分ぐらいだと思いますけど。私の勘では。」と記載されているのに対し、竹村の前記尋問調書中には、弁護人の「そこで、結局地階では買物をするのに大体どのくらい時間がかかつたんでしようか。」との質問に対して、「三箇所行つたと思うんですね。だから一〇分くらいと思いますけどね。お金を払つておつりもらつて……一〇分くらいと思いますけど……。」との答えが記載されており、右両者の供述が一致していないうえに、谷川及び竹村の両名とも腕時計などで右地階での買い物をした時間を確認していないのであるから、谷川らが買い物を終えてC号階段を上り始めた時間を正確に認定することはできないといわざるをえない。

なお、吉村は、前記尋問調書中において、第一別館六階にある女子社員食堂から店舗本館のC号階段を通つて一階のネクタイ売場に戻るまでに約五分かかる旨供述しているが、これは同女の勘によるものであつて正確な時間ではないうえ、谷川の前記公判調書中の、女子社員食堂から店舗本館一階まで降りるのに要する時間を計つたことがあるが、そのときには三分かかつた旨の供述とも一致していないことに照らすと、吉村が右女子社員食堂を出発した午後一時一〇分ころを基準として、同女が本件火災の出火場所であるC号階段の二階から三階への上り口付近を通過した時間を分単位で正確に認定することもできない。

(2)  原審第一〇回公判調書中の証人小堀咲子、同第一一回公判調書中の証人宮崎(旧氏本田)千代子、同第一三回公判調書中の証人福永慶子の各供述部分によれば、本件火災の第一発見者である店舗本館三階寝具売場従業員の小堀及び宮崎の両名は、同僚の岡本妙子の「煙が出ている」旨の指摘によつてC号階段からの煙に気付き、直ちに同階段三階踊場に駆けつけて二階と三階の間の西南角踊場付近に炎あるいは煙を発見したこと、そのころ三階手芸品売場主任の福永は、毛糸売場に来訪中の友人のため食事に行くことができず、時間を気にしながら腕時計を何度も見ていたが、午後一時二〇分であるのを見た直後、寝具売場の方から「煙が出ている」旨の声を聞いたのでそちらを見ると、小堀らがC号階段の方を指さしていたことが認められる。

なお、福永の前記公判調書の供述のうち、同女が自己の腕時計を何度も見ていた状況、その際に午後一時二〇分になつているのを見た直後ころ、寝具売場から「煙が出ている」旨の声を聞いたときの状況については、自然かつ合理的であつて、福永においてことさら虚偽の供述をしなければならない立場にはないこと、前記小堀及び宮崎が店舗本館C号階段からの煙に気付いたときの状況に関する各供述とも符合することに照らすと、福永の供述するその当時の小堀らの位置と同女らの供述する位置とが齟齬していることなどを考慮しても、これを充分に信用することができる。

以上の事実によれば、本件火災の出火推定時間は、岡本妙子が店舗本館C号階段からの煙に最初に気付いた午後一時二〇分よりも前であると認められるが、それがどの位前であるかについては、吉村らが午後一時一〇分ころ以後に本件火災の出火場所であるC号階段の二階から三階への上り口付近を通過したときには、火災に気付いていないのであるから、同時刻ころ以後である可能性が高いということができるだけで、その正確な時間を分単位で認定することはできないといわざるをえない。

なお、司法警察員皆越厚作成の昭和四九年五月一一日付け「太洋デパート火災に伴う着火燃焼実験報告」と題する書面によると、店舗本館C号階段の出火現場の状況を再現し、商品入りダンボール箱にマツチで点火して、その状況を観察した結果、一分三〇秒後に焦げる臭気の発生、二分三〇秒後に発煙、三分五秒後に発炎、五分後に一メートルの高さに発炎し、延焼を開始することが認められる。

しかしながら、右の延焼開始が点火から五分後であることと、前記のとおり岡本妙子らの本件火災の覚知時間が午後一時二〇分ころであることを根拠とし、本件出火推定時間を午後一時一五分ころと認定することはできないのである。というのは、そもそも本件火災の出火原因は不明であつて、本件火災が前記着火燃焼実験のような無炎着火と燻焼段階を経ない有炎着火のいずれであるとも認定することができないのみならず(当審第一二回公判調書中の鑑定証人細井三郎の尋問調書によれば、火災には無炎着火と有炎着火の二種類のあることが認められる。)、司法警察員奥村賢作成の昭和四八年一二月二〇日付け検証調書中の「C号階段一、二、三階部分の検証」部分に添付の見取図2によれば、店舗本館C号階段の本件火災の出火地点から前記小堀らが最初に火炎あるいは煙を発見した同階段の二階と三階の間の西南角踊場まで平面図にして約六・八メートルあることが認められ、たとえ本件火災が燻焼段階を経て発炎状態となる無炎着火であつたとしても、その炎が右の西南角踊場に到達するまでには、燻焼から延焼を開始するまでの五分間に加えて、さらに約六・八メートルを延焼する間の時間を考慮に入れなければならないからである。

(二) 本件火災当時、店舗本館C号階段の三階の防火シヤツターが降下開始後に一旦停止し、再び降下した理由について

原判決が認定した前記第一の二の(5) の事実中、店舗本館C号階段の三階の防火シヤツターが降下開始後に一旦停止した理由については、当審において取調べた細井三郎作成の昭和六一年八月二六日付け鑑定書及び当審第一五回及び第一六回各公判調書中の証人細井三郎の各供述部分によれば、C号階段三階の防火シヤツターは、岡本二三男がシヤツターの降下ボタンを押したことにより、モーターが作動して降下を開始したが、三相用開閉器のヒユーズが火炎によつて溶断し、電源が切れてモーターが停止したために降下を停止したものであり、その後間もなくシヤツターの温度ヒユーズが融けてシヤツタースプロケツトのブレーキが外れたので、スラツトの自重で再び降下を開始したものと認められ、右認定に反する証拠は存しない。

2 店舗本館三階の従業員の小堀咲子及び宮崎(旧氏本田)千代子の両名が本件火災をC号階段の二階と三階の間の西南角に発見したのが午後一時二〇分過ぎころであり、その火災が三階店内に延焼したのが午後一時二二分ころであることについては、原判示のとおりであるが、右の延焼時間について当審における証拠調べの結果に鑑み、さらに付言することとする。

この点について、当審第一一回ないし第一五回公判調書中の鑑定証人細井三郎の各供述部分、細井三郎作成の昭和六一年四月三〇日付け鑑定書によれば、本件火災が店舗本館C号階段の二階と三階の間の西南角踊場から三階店内まで延焼するためには八分三〇秒ないし九分かかり、右西南角踊場及びC号階段の防火シヤツター取付柱付近などで炎が方向転換をするのに要する時間を差し引いたとしても七分以上かかるというのである。

すると、前記のとおり、小堀及び宮崎の両名が本件火災を店舗本館C号階段の二階と三階の間の西南角踊場に発見したのは午後一時二〇分ころであるから、前記細井鑑定の結果によれば、本件火災が三階店内に延焼した時間は、午後一時二七分ないし二九分ころということになる。

しかしながら、原審第一一回公判調書中の証人榎田満善、同第一三回公判調書中の証人福永慶子の各供述部分によると、榎田及び福永の両名はいずれも本件火災が店舗本館三階店内の西側に陳列してあつた婚礼布団に燃え移つた後、同階から従業員用階段あるいは中央階段を利用して店外に脱出したものであるが、福永が店舗本館の西側にある焼肉店「キツチン・フランス」から自宅に電話中に自己の腕時計で時間を確認したときには午後一時二四分であり、榎田が店舗本館一階の西北隅にある従業員出入口から道路に出て自己の腕時計を見たときには午後一時二五分であつたことが認められ、これらの事実によると、本件火災は前記細井鑑定による午後一時二七分ころ以前に既に店舗本館三階店内に延焼していたことが明らかである。

そうすると、前記細井鑑定は、物理的ないし科学的根拠に基づく計算の結果ではあるが、前記証拠によつて認められる客観的事実と符号しないので、これを採用することはできないといわざるをえない。

3 店舗本館の改修工事の状況について

原審第一八回公判調書中の証人歌野章則、同第二九回公判調書中の証人前田隆幸、同前田祐助の各供述部分、西村錬一の検察官(昭和四九年五月二九日付け)及び司法警察員(昭和四八年一一月二九日付け)に対する各供述調書、田中重雄の検察官及び司法警察員(三通)に対する各供述調書、前田日出男、橋本清、吉村一貴、秦元治、西俣晴男、中本重人、清田健一郎、清水繁也、松本広義、森本文江、宮本信之、渕崎幸公、池田捨男、宮崎義一、林幹人、野田健吾、斉木克之、高浜悦男(二通、昭和四八年一二月六日付け、同月七日付け)、西村令二、中山幸治(同月五日付け)、岩田和憲、竹内昇、前田誠、中村隆史、岡田芳博、上滝嘉征、中村政昭、渡猛、堀上英一の司法警察員に対する各供述調書、久保田芳幸の司法警察員に対する供述調書の抄本、錦戸一実、中村和人、清田正明、木村正、内藤進、草野正義、片山達也、井出口利美の司法巡査に対する各供述調書、井崎アサエの司法巡査に対する供述調書の抄本、司法警察員笠間一成作成の昭和四八年一二月二〇日付け捜査報告書によれば、前記第二の一の1において認定した第一の二の(1) の増築工事に伴つて店舗本館も改修工事を行つていたものであり、その改修工事の内容は、<1>スプリンクラー設備・自家用発電機設備・非常照明及び非常誘導灯設備・非常放送設備・自動火災報知設備・排煙設備・防火シヤツター改修(煙感知機連動の自動シヤツターに改修)の各工事、<2>六階と七階との間の上下エスカレーターの移設工事、<3>三階の電話交換機の共電双紐式から自動双紐式への切換工事であつたこと、清水建設株式会社の作業所長西村錬一と設計管理業者の株式会社田中建築設計事務所社長田中重雄の両名は、右改修工事のため店舗本館での営業を地階と一階を除き各階毎に一時休止することとし、そのことについては株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴の了承を得たが、改修工事中の防災体制については何らの話し合いがなされず、株式会社太洋あるいは清水建設株式会社ないしはその下請業者らにおいて特別の防災体制はとられていないこと、本件火災当時、右増築工事と<1>の工事のため、その請負業者である清水建設株式会社や同社の下請業者の工事関係者らが店舗本館の各階で作業中であり、そのうち、五階では九州電気工事株式会社の従業員歌野章則らがエスカレーターの周囲にある自動シヤツターの煙感知機の配線工事を、八階では吉本産業従業員井崎アサエらが清掃作業をそれぞれするなどしていたこと、右<2>のエスカレーターの移設工事のため、六階では日立エレベーターサービス株式会社従業員久保田芳幸らが外装板をエスカレーターの所まで運搬する作業を、七階では菱電サービス株式会社従業員永戸正觀らがデツキボード工事をそれぞれしていたこと、右<3>の電話交換機切り換え工事のため、三階では富士通興業株式会社熊本営業所従業員山村康正らが店内の配線と電話機の取り付け状況の検査をしていたことが認められる。

二  本件の注意義務のうち、当裁判所において肯認することのできる結果回避のための措置について

前記第二の一の1において認定した第一の二の(1) ないし(8) の各事実関係(訂正した部分を含む。以下同じ)によれば、店舗本館三階の電話交換室主任の木村礼子らは、本件火災の第一発見者である宮崎千代子からの通報を午後一時二〇分過ぎころに受けているのであり、本件火災当時店舗本館に在館していた一〇〇〇名足らずの客、従業員及び工事関係者らが全員安全階である二階まで中央階段及び従業員階段を使用して避難するのに約三分三〇秒を要するところ、午後一時二五分までは右両階段に煙が侵入していなかつたのであるから、木村らが業務用放送設備による店内放送を通じて全館に火災の通報と避難を呼び掛けるとともに、従業員らによつて避難誘導が行われたならば、三階以上の各階の在館者は全員無事に避難することができ、本件死傷の結果を回避することができたと認められることについては、原判示のとおりである。

そして、本件火災に際し、店舗本館では、従業員らによる火災の通報が全くなされず、避難誘導もほとんど行われなかつたことについても、原判示のとおりであるが、これらは株式会社太洋において、火災等の災害を最小限に防止するために必要な自衛消防組織、その活動方法及び訓練等についての実施細目を定めた消防計画を作成し、これに基づいて従業員に対し、消火、通報及び避難誘導などの訓練を日頃から行つていなかつたことに起因するものであることが明らかである。

すると、本件の結果回避のための措置として、店舗本館について株式会社太洋の消防計画を作成し、これに基づいて従業員に対し、消火、通報及び避難誘導などの訓練を実施する必要があり、また、自動火災報知設備及び店舗本館北側の増築工事に伴つて撤去された既設の避難階段に代わる避難階段、その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備の設置措置は、前記結果回避のための措置をより容易にしたであろうことが明らかである。

次に、前記第二の一の1において認定した第一の二の(3) のとおりの事実によれば、本件火災の出火場所は、店舗本館C号階段の二階から三階への上り口付近であり、同階段に間断なく積み重ねてあつた寝具などの入つたダンボール箱を次々と焼毀して三階店内に延焼したものであるから、右ダンボール箱がC号階段に積み重ねられてなければ、本件火災は発生せず、三階店内に延焼することもなかつたということができる。

すると、本件の結果回避のための措置として、店舗本館のC号階段に商品の入つたダンボール箱などを放置しないようにすべきであつた。

また、前記第二の一の1において認定した第一の二の(2) 及び(3) のとおりの事実によれば、本件火災の出火場所が店舗本館C号階段の二階から三階への上り口付近であり、C号階段から三階店内に延焼していること、C号階段の四階の防火シヤツターは常時閉鎖されたままであり、五階の防火シヤツターは温度ヒユーズが作動してC号階段からの炎が五階店内に入る前に降下しているほか、建設省太洋デパート事故調査委員会作成の報告書によれば、防火シヤツターが閉鎖されていた四階と五階ではC号階段からの炎が店内に延焼していないことが認められる。

右の事実によると、店舗本館三階店内にC号階段からの炎が延焼する以前に、C号階段の防火シヤツターが三階の従業員らによつて閉鎖されていた場合、本件火災は、C号階段の防火シヤツターの下に角材を入れてあつた六階及び閉鎖されていた防火シヤツター横の開放中の防火戸のある七階から右両店内に延焼することはあつても、三階から五階までの各店内に延焼することはありえないと認められる。

すると、右の場合、少なくとも本件火災により店舗本館三階から五階までの間の各階では死傷の結果を回避しえたと認めることができるから、結果回避のための措置として、店舗本館C号階段の火災が三階店内に延焼する前に、C号階段の防火シヤツターは閉鎖さるべきであつた。

ただ、本件火災が店舗本館三階店内に延焼する前にC号階段三階の防火シヤツターが従業員によつて閉鎖されていても、前記のとおりC号階段六階の防火シヤツター及び同階段七階の防火戸が開放されたままであるから、本件火災はC号階段を燃え上がつて同階段から六階と七階の両店内に延焼することが避けられない。

この場合、六階の在館者は、五階以下の店内が延焼していないのであるから、中央階段及び従業員階段を利用して安全階である五階以下の階に避難することができ、また、屋上へも避難することができるため、本件死傷の結果を回避することができた可能性が高いということができるが、前記第二の一の1において認定した第一の二の(4) のとおり本件火災当時三階で従業員のうち新美亀喜が死亡していること、同(5) の時間に火災を覚知したにもかかわらず火災発生の通報や組織的な避難誘導がなされていないこと及び同(6) の避難に要する時間に照らすと、火災の覚知が遅れて炎や煙の充満などのために避難場所を失う在館者がいないとはいえず、六階の在館者全員が確実にその死傷の結果を回避することができたと認めることは困難である。

また、七階については、本件火災がC号階段から七階店内に延焼するのに加えて、前記のとおりC号階段からの火災のため、六階店内の方が七階店内よりも先に燃えるため、六階から七階へ通じる中央エス力レーター及び中央階段を経路とする延焼と煙の充満並びに従業員階段への煙の侵入が考えられ、七階以上の階の在館者が下の階に降りるにはその逃道が火煙のため塞がれることになるので、全員無事に安全階である五階以下の階に避難して死傷の結果を回避しえたとは認め難い。

三  本件の結果回避のための各措置をとるべき義務を負う者について

過失犯が成立するためには、過失ありとされる者に注意義務(結果の発生を予見し、回避すべき義務)の違反がなければならないのはもちろんであるが、その注意義務が特定の者に認められるためには、まず、その者が過失事故発生当時の具体的状況下において、法令、契約、慣行あるいは条理に基づいて注意義務を負う立場になければならず、次に、右の立場にある者が結果の発生を予見し、その予見に従つて結果の発生を回避することが一般的に可能な場合でなければならないのである。

この点については、結果発生の原因となるような行為を行つた者、すなわち起因者が結果の発生を予見し、回避すべき立場にあることはあまりにも明白であるためこれが問題となることはありえない。しかし、右の起因者以外の者については、その者が何故に結果の発生を予見し、回避しなければならないのかは、法令、契約、慣行あるいは条理上の根拠に基づくときに限り、これを肯認することができる。

この点に関する検察官の所論は、「百貨店役員、従業員等は、自己の選択によつてその職域を選択し、百貨店業務という社会生活上の行為をなし、かつ災害時の危険を生じ易い職場環境において危険の発生を未然に防止し、あるいは危険発生の際は顧客等の安全を速やかに確保するという責務を帯有して執務しているものであるから、百貨店の構成員は、本来の営業行為に必然的に付随して顧客の危険防止の業務に従事しており、したがつて刑法二一一条の業務性を有するものと理解されるのである。」というのである。

しかしながら、本件で問題なのは、右所論がいうような被告人らの業務性よりもむしろ、被告人らが前記第二の二において認定した結果回避のための各措置をとるべき義務を負う立場にあるかどうかである。

そこで、株式会社太洋において店舗本館の消防計画を作成し、これに基づいて従業員に対し消火、通報及び避難誘導などの訓練を実施する措置をとるべき義務を負う者について最初に検討することとする。

右の措置は、消防法(以下、この判決において消防法、同法施行令、同法施行規則という場合は、いずれも本件火災当時のそれをいう。)八条一項に定める防火管理業務の一内容であるから、この義務を負うべき立場にある者が同条所定の「管理について権原を有する者」、すなわち管理権原者あるいは防火管理者またはこれらの者から委任を受けている者であるとする原判決の認定は、その限りでは正当であるということができる。

しかし、消防法八条一項は、行政の立場から百貨店や病院等の多数の者が出入し、勤務し、又は居住する防火対象物について消防計画の作成等の防火管理上必要な業務を行うべきことを管理権原者あるいは防火管理者に義務づけているに過ぎないのであつて、消防法令上の根拠とは別個に契約関係あるいは条理から消防法八条一項と同一内容の義務が特定の者に生じる場合のあることを考慮しなければならない。

すなわち、株式会社太洋は、前記第二の一の1において認定した第一の二の(1) のとおりの店舗本館を設け、約一〇〇〇名の従業員を雇用して百貨店営業を行つていたものであり、店舗本館の規模、構造、各売場の配置、各階段、エスカレーター及びエレベーターの設置状況などに鑑みるときは、店舗本館内で火災等の不測の事態が発生した場合には、店内にいる従業員及び客の生命、身体に対する危険性があると認められる。

このような危険性を伴う職場環境の下で従業員を就業させている株式会社太洋は、従業員との間の労働契約の付随義務として信義則上、従業員に対し、その勤務場所である店舗本館の施設の設置、管理に当たり、従業員の生命及び健康等を危険から保護するように配慮すべき義務(以下、「安全配慮義務」という。)を負つているのである(最高裁判所昭和四八年(オ)第三八三号同五〇年二月二五日第三小法廷判決、民集二九巻二号一四三頁参照)。

また、株式会社太洋の店舗本館での営業は、多数の客の来場を予定する営利事業としての百貨店営業であつて、その営業時間中に火災等の不測の事態が発生した場合には、客の生命及び身体の安全を確保することを当然の前提として営業活動を行つているものであり、他方客も右の不測の事態が発生したときは同社において適切な措置をとるであろうことを期待して買物などのために訪れているということができるから、右の安全確保は同社の負うべき条理上の義務(以下、「安全確保義務」という。)であると解される。

さらに、本件火災当時、前記第二の一の3において認定したとおり店舗本館の増築工事及び改修工事のために店舗本館内に多数の工事関係者が在館していたところ、株式会社太洋は右工事中も営業を継続し、前記の危険性のある環境の下で工事に従事させていたのであるから、これら工事関係者に対しても客に対するのと同様にその安全を確保すべき条理上の義務があつたというべきである。

そして、店舗本館の規模、構造、各売場の配置、各階段、エスカレーター及びエレベーターの設置状況、増築及び改修工事の状況などに鑑みるときは、本件当時株式会社太洋が従業員、客及び工事関係者に対して負う安全配慮義務及び安全確保義務の具体的内容としては、店舗本館の消防計画の作成とこれに基づく従業員に対する消火、通報及び避難誘導訓練などの実施のほか、非常ベルなどの非常警報設備、避難梯子や緩降機などの避難設備の設置の各義務であると認められる。

ところで、株式会社は機関によつてその業務執行を行つているのである。すなわち、株式会社においては、代表取締役が会社業務の執行機関(商法二六一条)であり、取締役会が会社の業務執行の意思決定機関であるとともに、業務執行についての監督機関(商法二六〇条)でもある。

すると、株式会社太洋の前記従業員に対する安全配慮義務並びに客及び工事関係者に対する安全確保義務は、もともと会社が右の者らに対して負つている義務であるから、会社の業務執行の意思決定機関である取締役会の決議に従つて履行されることになる。従つて、これを構成する取締役各員が発議し、討論し、決議し、代表取締役において右決議を実行することによつて、各々その責に任ずべきものである。

もつとも、商法二六〇条二項に定められた事項を除き株式会社の業務執行の意思決定の全てを取締役会が行う必要はなく、取締役会はその有する権限を取締役会の構成員である一部の取締役あるいは会社の従業員に委任することを妨げない。

次に、本件火災が店舗本館C号階段から三階店内に延焼する以前にC号階段三階の防火シヤツターを閉鎖する措置をとるべき義務を負う者について検討するに、株式会社太洋のように多数の客の来場を予定して営業活動をする百貨店において火災が発生した場合、その百貨店に勤務する従業員は、客の生命、身体等の安全を図るとともに、消防隊が火災の現場に到着するまで消火若しくは延焼の防止を行うべき立場にあることは、条理上はもちろんのこと消防法二五条、同法施行規則四六条三号の規定からも明らかなところである。

すると、店舗本館C号階段の三階の防火シヤツターの閉鎖に要する時間よりも前に本件火災を発見した株式会社太洋の従業員は、右防火シヤツターを閉鎖すべき立場にあつたということができる。

また、店舗本館C号階段の二階から三階にかけて商品入りダンホール箱を放置させないようする措置をとるべき義務を負う者について検討するに、株式会社太洋において右の商品の管理義務を負う者がその措置をとるべき立場にあることはいうまでもない。

さらに、店舗本館C号階段が火災等の災害時に在館者の避難階段として利用されることを考慮すると、消防法八条一項所定の「避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理」という観点からして、C号階段に商品入りダンボール箱を放置させないようにすることは、避難階段の維持管理の範囲内に属する事柄でもあると認められ、株式会社太洋の防火管理者の行うべき防火管理業務でもある。

以上の諸点について、原判決は、消防法八条の管理権原者あるいは防火管理者の義務のみに目を奪われ、これらの者以外の消防法令上の義務あるいは契約ないし条理によつて生ずる本件結果回避のための措置をとるべき義務に思いを致さなかつた誤りがあるといわなければならない。

四  被告人山内藤吉の刑事責任について

1 被告人山内藤吉の注意義務について

(一) 前記第二の三で説示したとおり、被告人山内藤吉に過失責任が認められるためには、まず、同被告人が店舗本館について消防計画を作成し、これに基づいて従業員に対し、消火、通報及び避難誘導などの訓練を実施する措置をとる注意義務を負うべき立場にあつたかどうかを検討しなければならない。

(1)  本件火災当時における株式会社太洋の消防法八条一項所定の管理権原者及び防火管理者

原審第五〇回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分、同第五四回公判調書中の公訴棄却前の相被告人山内友記の供述部分、同第三五回公判調書中の証人片岡秀寿の供述部分、同第四一回公判調書中の証人谷口肇の供述部分、山内友記の検察官に対する昭和四九年八月二〇日付け供述調書、谷口肇の検察官に対する供述調書、山口亀鶴の労働基準監督官に対する供述調書に当審第一〇回公判調書中の証人片岡秀寿、同谷口肇の各供述部分、同第一九回公判調書中の証人守山正治の供述部分を総合すると、株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴は、同社の株式のほとんどを所有するいわゆるオーナー社長であり、取締役の選任や従業員の人事配置について絶大な権限を有していたこと、株式会社太洋の経営については、本件火災当時、毎朝他の取締役よりも前に出社し、店舗本館と道路を隔てて西側の第一別館七階にある常務取締役の執務室となつている役員室で取締役らに対し、同社の業務執行に関する指揮、命令を行い、さらには、毎日のように店舗本館内を巡視して従業員らの接客態度を注意するなどして積極的に経営に関与していたことが認められ、また、消防法八条二項、同法施行規則四条一項により株式会社太洋の管理権原者が選任または解任して届け出なければならない熊本市消防長に対する防火管理者選任(解任)届出書二通(原庁昭和五〇年押第四九号の17、18)には、届出者として「取締役社長山口亀鶴」と記載されていることに照らすと、株式会社太洋の消防法上の管理権原者は山口亀鶴であることが明らかである。

また、本件火災当時の株式会社太洋の防火管理者が被告人園田正満であることについては、後記(2) 及び六の1の(一)で説示するとおりである。

これに関連して検察官の所論は、被告人山内藤吉は、株式会社太洋の管理権原者である山口亀鶴から委任を受けて同社の防火管理業務に従事していたというのである。

なるほど、山口亀鶴の労働基準監督官に対する供述調書には「今回の火災以前に消火訓練、避難訓練などが充分できていなかつたことは申訳ありません。これらの教育は人事部にまかせておつたわけでありますが、このことについて何らの指示もしておらず、確認もしておりません。」との右所論に沿う記載があり、他方、同人の検察官に対する上申書には「消火通報及び避難の訓練は防火管理者の責任において実施すべきだつたと思う」旨の矛盾する記載が存すること、被告人山内藤吉の検察官に対する昭和四九年八月二二日付け供述調書には「防火対策は営繕課の担当です」との供述記載があり、同被告人の司法警察員に対する同年二月一八日付け(一〇枚綴りのもの)、同月一九日付け、同年三月三〇日付け各供述調書にも同旨の記載があることに照らすと、山口亀鶴の労働基準監督官に対する右供述記載を直ちに措信することはできず、その他右所論の管理権原の委任を認めるに足りる直接証拠は原審及び当審記録や証拠中には存しない。

また、検察官の所論が指摘する被告人山内藤吉の被告人園田正満あるいはその他の従業員らに対する防火管理上の指揮監督状況のうち、被告人山内藤吉が、<1>昭和四六年二月一〇日、熊本市大江町所在の新和寮で開催された防火管理者協議会理事会に被告人園田正満を出席させたこと、<2>同年五月一一日、株式会社太洋の女子従業員寮である秋津寮が竣工した際、被告人園田正満に命じて、右寮の消火器の見積もりを行わせ消火器を取り付けさせたこと、<3>同年六月八日及び同月九日の両日、熊本県立図書館で開催された防火管理者資格講習会に、被告人園田正満を出席させたこと、<4>昭和四七年一月二七日、熊本県福祉会館で開催された防火管理者協議会に出席した被告人園田正満から協議内容の報告を受けたこと、<5>同年四月一日、被告人園田正満に対し、火元責任者氏名を表示したプレートを作成させて各階の目につき易い所に明示するよう指示し、同被告人をして、企画部係員に作らせたプレートを店舗本館各階の入口に取り付けさせたこと、<6>同年五月一九日、被告人園田正満に対し、各階の消防編成表を作成させたこと、<7>同年五月二三日、被告人園田正満に命じて、前記秋津寮の避難器具の見積もりをさせた上、同年七月五日にその発注をさせたこと、<8>同年一一月一九日、前記秋津寮における災害時の避難器具である緩降機を使用しての避難訓練について、被告人園田正満に対し、寮生活をしている女子従業員に訓練をさせるように指示したこと、<9>同年一二月ころ、山口亀鶴の指示により人事課長代理吉田行範に対して被告人園田正満を株式会社太洋の防火管理者に選任する旨の手続をとるように命じ、熊本市消防長宛の「防火管理者選任(解任)届出書」を作成させた上、同月一五日付けでその旨の届け出をさせたこと、<10>昭和四八年一月二五日、被告人園田正満から、防火管理者協議会理事会の協議内容の報告を受けたこと、<11>同年二月二四日、被告人園田正満から「春の防火運動」のポスターの掲示場所についての指示を求められた際、企画宣伝課と相談するように指示したこと、<12>昭和四七年五月ころ、大阪の千日前デパートビル火災の新聞記事を切り抜いて掲示板に掲示し、全従業員に対し防火に関する注意を喚起し、さらに、そのころ開催された部課長会議において、各部課長に対し、「荷物を階段におかないように」などと指示したこと、<13>日頃から電話交換手らに対し、火災などの事故が発生したときは人事課に連絡し、許可を得てから店内放送あるいは消防署へ連絡するように指示していたことについては、原審第五一回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分、同第四八回公判調書中の被告人園田正満の供述部分、同第二〇回公判調書中の証人馬渡仁美の供述部分、同第三一回公判調書中の証人吉田行範の供述部分、被告人山内藤吉の検察官(昭和四九年八月二二日付け)及び司法警察員(昭和四八年一二月二八日付け、昭和四九年二月一九日付け、同月二〇日付け)に対する各供述調書、被告人園田正満の検察官に対する昭和四九年六月二八日付け、同月二九日付け各供述調書、松下重行、道喜陽子(昭和四九年五月二四日付け)の検察官に対する各供述調書、原審で押収の一階消防編成表一枚(原庁昭和五〇年押第四九号の1)、地階消防編成表一枚(同号の2)、三階消防編成表(同号の4)、消防編成表一枚(同号の7)、日記帳一冊(同号の30)、営繕課覚書ノート一冊(同号の31)、現場手帳一冊(同号の43)、手帳一冊(同号の44)によつて認めることができる。

しかし、前記<1>ないし<13>は、右所論が指摘するように消防法八条一項所定の防火管理業務あるいはこれと密接に関連する事項ではあるが、管理権原者の行うべき右業務は消防法令という公法上の義務であるから、これを委任するについては契約あるいは職務命令等によつて明確になされるのが通常であるところ、前記のとおり被告人山内藤吉が株式会社太洋の管理権原者である山口亀鶴から管理権原の委任を受けたことを認めるに足りる直接証拠は存しないこと、被告人山内藤吉の検察官に対する昭和四九年八月二二日付け供述調書及び原審第三一回公判調書中の証人吉田行範の供述部分によれば、人事課の所管事務のなかには、従業員の任免異動、教育あるいは秋津寮の管理に関する事項等が含まれていることが認められるところ、<1>ないし<4>、<7>ないし<10>については右所管事務の範囲内として理解することができること、<5>、<6>については、原審第五一回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分によると、各売場の臨時雇いの従業員から被告人山内藤吉に対し、被告人園田正満の前任の防火管理者である古閑光男が作成して各売場に表示していた火元責任者あるいは消防編成表の氏名と実際の氏名とが人事異動によつて一致しなくなつているという指摘があつたためであり、<11>については、原審第五一回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分及び被告人山内藤吉の検察官に対する昭和四九年八月二二日付け供述調書によると、被告人園田正満から指示を求められたのに対し、ポスター等の掲示を担当している企画宣伝課と相談するように指示したに過ぎず、<12>、<13>については、人事課の所管事務のうちの教育に関連する事柄でもあつて、これらについては被告人山内藤吉が株式会社太洋の取締役の地位にあつたこともあつて、同被告人のいうように人事課の所管事務の範囲外への助言あるいは指導として見られなくもないことに照らすと、右の各事実をもつてしては未だ、被告人山内藤吉が山口亀鶴から店舗本館の管理権原の委任を受けていたと認めることはできないといわざるをえない。

(2)  本件の安全配慮義務及び安全確保義務の担当者

原審第五一回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分、被告人山内藤吉の司法警察員に対する昭和四九年二月一八日付け供述調書(一〇枚綴りのもの)、原審第三一回公判調書中の証人吉田行範の供述部分、同第三四回及び第三五回公判調書中の証人古閑光男の各供述部分、当審第六回公判調書中の証人古閑光男の供述部分、原審で押収の株式会社太洋各課業務分掌表一枚(原庁昭和五〇年押第四九号の5)、消火器維持台帳一冊(同号の8)、防火管理者選任(解任)届出書二枚(同号の17、18)によれば、株式会社太洋には、昭和二八年四月二〇日当時、庶務課、人事課、用度課、保安課、電気課、倉庫課、配送課、経理課、食料品課、第一課ないし第五課、食堂課、商品課、外商課、企画宣伝課、営繕課の各課のほか製菓工場が設けられ、「消防に関する事項」は庶務課の業務とされていたこと、昭和三五年七月二日法律第一一七号による消防法の一部改正によつて現在の防火管理者制度が発足したのに伴い、株式会社太洋取締役社長山口亀鶴名をもつて、昭和三六年一〇月三一日付けで営繕課長古閑光男が株式会社太洋の防火管理者として熊本市消防長宛に届け出られ、これにより庶務課の業務とされていた消防に関する事項は古閑の担当となつたこと、昭和四一年四月に株式会社太洋の機構改革が行われて部制が敷かれ、営業部、外商部、経理部、企画宣伝部、人事部、仕入部、営繕部、庶務部などが設けられたが、消防に関する事項を担当する部課は定められず、営繕部長となつた古閑が引き続いてこれを担当していたこと、古閑は昭和四五年八月一五日付けで株式会社太洋を退職したが、同人の後任の営繕部長は発令されず、また、熊本市消防長に対する防火管理者の解任届け出もなされないままであつたこと、古閑は自己の後任の防火管理者が選任されていないため、右の退職に際して消防に関する事務の引き継ぎをしておらず、消火器維持台帳を庶務部長の宮崎裕一に渡しただけであること、昭和四七年一二月ころ熊本市消防局から株式会社太洋に対して防火管理者の選任及び解任の届出書を提出するようにとの書類が送られてきたため、人事課長代理の吉田行範は、人事部長の被告人山内藤吉と相談し、同被告人において山口亀鶴から被告人園田正満を防火管理者に選任するようにとの指示を受けたうえで、被告人園田正満の同意を得て同月一五日付けで、株式会社太洋取締役社長山口亀鶴名をもつて、被告人園田正満を防火管理者に選任、古閑光男を防火管理者から解任する旨の届出書を熊本市消防長宛に提出したことが認められる。

以上の事実関係によれば、株式会社太洋ではその創設以来庶務課が同社の消防に関する業務をその所管としていたものであり、昭和三六年一〇月三一日付けで古閑光男が防火管理者に選任されたのにともなつて、防火管理者以外に消防に関する業務を所管する課はなくなり、昭和四五年八月一五日付けで同人が同社を退職した後は、同社の消防に関する業務を担当する部課及び防火管理者は存在せず、昭和四七年一二月一五日付けで被告人園田正満が防火管理者に選任され、本件火災当時までその地位にあつたことが認められる。

すると、株式会社太洋では、本件火災当時、消防法上の管理権原者及び防火管理者とは別個に取締役会からの委任を受けて、火災による災害から従業員、客及び工事関係者らの生命、身体に対する安全確保の業務を担当する取締役あるいは従業員は存在しないことが明らかである。

この点について、検察官の所論は、人事部の所管事務のなかに「保険衛生安全関係」「教育」「社員服務」の業務が含まれており、人事部が作成した「実習生の皆さんへ これだけは必ず守つて下さい」と題する書面には火災予防に関する記載が、また、「社員服務心得」には火災等の非常災害時の心得に関する記載がそれぞれあることを根拠として、人事部長である被告人山内藤吉は、火災等の災害から客や従業員の生命、身体に対する安全を確保するため、防火、避難、救護の各訓練を従業員に実施すべき職責を有していたというのである。

しかしながら、原審で押収の株式会社太洋各課事務分掌表一枚(原庁昭和五〇年押第四九号の5)によれば、株式会社太洋の昭和二八年四月二〇日当時の事務分掌では、人事課の所管事務のなかに右所論指摘の業務がある一方で、庶務課の所管事務のなかに「消防に関する事項」のあることが認められ、このことに照らしても、もともと人事課の所管業務には「消防に関する事項」は含まれておらず、本件火災当時の人事部の所管業務である「安全関係」とは「消防に関する事項」以外の従業員及び客に対する安全管理などであることが明らかである。

また、被告人山内藤吉の司法警察員に対する昭和四九年二月二一日付け供述調書に添付の「実習生の皆さんへ これだけは必ず守つて下さい」と題する書面、あるいは、当審で押収の「社員服務心得」一冊(当庁昭和五九年押第二〇号の46)には、保安課の所管業務である従業員らの私物の持込持出に関する記載など、人事部以外の各部課の所管業務に関する記載があることからも明らかなように、右の各書面は人事部の所管業務である「教育」ないしは「社員服務」に属する事項として作成されたに過ぎず、これらの中に右所論のような記載があるからといつて、それが直ちに人事部の所管であると解することはできないのである。

(3)  しかし、被告人山内藤吉の株式会社太洋での地位、経歴等に照らし、同被告人についても次のとおり防火管理義務を認めることができる。

すなわち、原審第五〇回及び第六四回公判調書中の被告人山内藤吉の各供述部分、被告人山内藤吉の検察官(昭和四九年八月二二日付け)及び司法警察員(昭和四八年一二月二八日付け、昭和四九年二月一八日付け・一〇枚綴りのもの)に対する各供述調書、熊本地方法務局登記官角本和彦認証の商業登記簿の謄本によれば、被告人山内藤吉は、昭和二七年一〇月店舗本館での百貨店営業開始と同時に株式会社太洋に人事係長として入社し、昭和三〇年八月に人事課長となり、昭和四一年四月に部制が敷かれたときに人事部長になるとともに取締役に就任し、以来本件火災当時にも右の地位にあつたことが認められる。

すると、被告人山内藤吉は、株式会社太洋の取締役会の構成員の一員として、前記第二の三において説示したとおり、もともと同社がその従業員、客及び工事関係者らに対して負う安全配慮義務あるいは安全確保義務としての消防計画の作成、同計画に基づく従業員に対する消火、通報及び避難誘導の訓練の実施等に関与すべき立場にあつたものであるところ、前記(1) に現れている<1>ないし<13>のような同被告人のいう防火管理上の助言や指導をしていたことなどに鑑みるときは、右の各義務を履行するため、取締役会において積極的に問題点を指摘し、必要な措置をとるべく決議を促し、代表取締役にこれを実行させるべき立場にあつたものというべきである。

すなわち、前記会社の負う義務は、現実的には右のような地位にある取締役の一員である被告人山内藤吉によつて果たされることになるが、これが同被告人の業務であることは当然であつて、同被告人が前記消防計画の作成並びに実施に当たる立場を有することを認定することを妨げない。

さらに、株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴は、いわゆるオーナー社長として会社の業務を把握し、各取締役をはじめ従業員を直接指揮、指示していて、消防法上も管理権原者として、防火管理においても最高の責任者であつたにもかかわらず、前記のような会社としての防火体制に欠けるところを放置していたものであるから、被告人山内藤吉のように取締役会の一員として、また、社内の防火管理につき関心をもつて助言、指導にも関与していた者としては、むしろ、このような代表取締役社長山口亀鶴の姿勢を正して客及び従業員の安全確保義務を履行せしめるためにも、自ら防火管理に関与したところをふまえて積極的に意見を具申し、代表取締役社長山口亀鶴の統括的な義務履行を促すよう助言して補佐することもまた、取締役たる被告人山内藤吉の責務であり、それが同時に刑法二一一条所定の「業務」であるといわなければならない。

被告人山内藤吉はいわゆる平取締役であつて、防火管理業務については他に専決できる常務取締役が株式会社太洋にいたとしても、会社内における業務上の決裁権の有無を問わず、機関構成員の一員である同被告人が無策のまま放置してよい事柄ではない。

(二) 被告人山内藤吉が本件結果の発生を予見し、その予見に従つて結果の発生を回避することが可能であつたことについて

(1)  被告人山内藤吉が本件結果の発生を予見することが可能であつたことについて

店舗本館の建物の規模、構造、各売場の状況、増築工事の進捗状況及び本件火災当時における店舗本館の在館者数などについては、前記第二の一の1において認定した第一の二の(1) 及び(4) のとおりであり、また、店舗本館の改修工事の状況については、前記第二の一の3において認定したとおりであつて、これらについては、昭和二七年一〇月の店舗本館での営業開始当時から株式会社太洋に勤務し、昭和四一年四月以降は同社の取締役兼人事部長の地位にあつて、後記(2) のとおり日頃仕事始めの朝方、第一別館七階の役員室で代表取締役社長以下各取締役とともに談話の機会のあつた被告人山内藤吉も当然その概要は認識していたものと認められる。

また、原審第五一回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分、同第四八回公判調書中の被告人園田正満の供述部分、被告人山内藤吉の検察官(昭和四九年八月二二日付け)及び司法警察員(同年二月二〇日付け)に対する各供述調書、被告人園田正満の検察官に対する同年六月二八日付け供述調書、原審第四回公判調書中の証人徳永富士夫の供述部分、同第五回公判調書中の証人山品信也の供述部分、同第六回公判調書中の証人下村励の供述部分、同第三四回及び第三五回公判調書中の証人古閑光男の各供述部分、同第四六回公判調書中の証人坂本登の供述部分、熊本市中央消防署長谷口恭彦作成の捜査関係事項照会回答書、原審で押収の一階消防編成表一枚(原庁昭和五〇年押第四九号の1)、地階消防編成表一枚(同号の2)、三階消防編成表一枚(同号の4)、消防編成表一枚(同号の7)、消防雑綴一冊(同号の9)、稟議書綴一冊(同号の40)によれば、古閑光男は防火管理者に就任後、各課長をその担当課の火元責任者に選任し、店舗本館各階毎の消防編成を作成するなどしたが、火災等の災害を最小限に防止するために必要な店舗本館全館にわたる自衛消防組織、活動方法及び訓練についての実施細目等を定めた消防計画は、これを作成しておらず、火災等の災害を想定した従業員による消火及び避難誘導訓練なども実施していないこと、被告人山内藤吉は、古閑光男の編成した消防編成表が人員の移動や退職などによつて古くなつたため、昭和四七年五月一九日、被告人園田正満に対して各階毎の消防隊の編成表を作成するように指示し、これに従つて同被告人は、トレーシングペーパー用紙に「各消防編成」の表題の下に、消火班、通報連絡班、避難誘導班、防火シヤツター閉鎖・工作・搬出班を表示したものを縦約三八センチメートル、横約四四センチメートルのコピー用紙に複写し、これを各課長ら火元責任者に配付し、そのころ右火元責任者において各班員を人選して右の消防編成表に記入して店舗本館各階の壁等に貼付したこと、熊本市消防局予防課では消防法四条に基づき昭和四四年まで毎年店舗本館等について立入検査を行つてきたが、そのうち昭和四〇年一二月一三日、昭和四一年一二月一二日、昭和四二年一一月二二日、昭和四三年一二月一四日、昭和四四年一二月一七日の各立入検査については、その検査結果を書面で山口亀鶴宛に送付しているところ、右の各書面には昭和四〇年を除き「消防計画を樹立し計画書を提出すること、尚、当該計画に基づき訓練を実施すること」との記載がなされており、昭和四六年七月九日になされた熊本市中央消防署の立入検査の通知書にも同様の指摘が記載されたうえ、その検査結果について昭和四六年七月三一日までに改善計画書を提出するように付記されていたこと、昭和四六年度の立入検査には株式会社太洋の防火管理者が選任されていなかつたため、渉外部長の坂本登ほか三名が応対し、坂本は同社宛に送付されてきた立入検査結果の書面を同年七月二一日に受け取ると、これを朝、第一別館七階の役員室に在室していた被告人山内藤吉らに報告して注意を促し、さらに右の立入検査結果の指摘事項に関連する人事部、企画部、営業部、保安課、電気課、営繕課の各部課に右の書面を回覧するとともにコピーを一部宛配付したこと、右の書面には取締役のうち被告人山内藤吉と高木雅生の両名が閲覧したことを示す印鑑が押捺されていることが認められ、右の事実関係によると、被告人山内藤吉は、遅くとも昭和四六年七月九日に行われた熊本市中央消防署の立入検査結果の報告を坂本登から口頭あるいは書面で受けたころには、株式会社太洋では店舗本館について消防計画が作成されておらず、これに基づく訓練もなされていないことを認識していたと認められるのである。

以上のような場合、店舗本館で一旦火災が発生したときは、早期の火災発見と適切な消火、通報及び避難誘導を欠けば、建物の構造や避難経路について不案内な在店中の多数の客や工事関係者のみならず、従業員らを死傷に至らしめる危険があることは、本件火災の前年の昭和四七年五月に発生した千日前デパートビル火災など同種の火災事故に照らしても明らかなところであつて、被告人山内藤吉と同様に株式会社である百貨店の経営責任を負う取締役一般にとつて容易に予見しうるところである。現に被告人山内藤吉は、千日前デパートビル火災の翌日、その新聞報道の記事を掲示板に貼りつけて従業員らに注意を促すなどしていることについては、前記第二の四の1の(一)の(1) において認定したとおりである。

すると、株式会社太洋の取締役会の一員として前記第二の四の1の(一)の(3) において説示したとおりの立場にある被告人山内藤吉としては、右の予見に従つて本件結果の発生を回避するため、店舗本館について消防計画を作成し、これに基づいて日頃から従業員に対し、消火、通報及び避難誘導などの訓練を実施する措置を講ずべきであつたことが認められる。

(2)  被告人山内藤吉による消防計画の作成及びこれに基づく避難誘導訓練等の実施の実現可能性について

被告人山内藤吉の司法警察員に対する昭和四八年一二月二八日付け及び昭和四九年二月一八日付け(一〇枚綴りのもの)各供述調書、原審第三五回公判調書中の証人片岡秀寿の供述部分、同第四一回公判調書中の証人吉村久雄の供述部分、同第四二回公判調書中の証人高木雅生、同松本信康の各供述部分、同第五四回公判調書中の公訴棄却前の相被告人山内友記の供述部分、同第五六回公判調書中の山口博文の供述部分、山内友記の検察官に対する昭和四九年八月二〇日付け供述調書、司法警察員奥村賢作成の検証調書中の「別館の検証」部分並びに当審第一〇回公判調書中の証人谷口肇の供述部分及び同第一九回公判調書中の証人守山正治の供述部分によれば、本件火災当時の株式会社太洋の取締役は、被告人山内藤吉のほかに山口亀鶴、松本信康、山口博文、吉村久雄、山内友記、片岡秀寿、安留浅市、谷口肇、山口節二、松本進、山口洋三、高木雅生の一三名であり、そのうち代表取締役社長が山口亀鶴、常務取締役が山内友記(外商部担当)、山口博文(営業部担当)、谷口肇(経理部担当)、松本進(企画宣伝部担当)、片岡秀寿(太洋シヨツピングセンター株式会社新市街店担当)の五名、高木雅生が営業部長、松本信康が経理部長であつたこと、同社では取締役会が正式に開催されたことがほとんどなく、第一別館七階に応接室を挟んで社長室と山内友記ら五名の常務取締役の執務室となつている役員室があり、同室に山口亀鶴や常時勤務している各取締役も毎朝顔を出してお茶を飲みながら談話するのが習慣となつており、その際に必要に応して山口亀鶴や各取締役間で会社業務に関する話し合いがなされていたこと、しかし、山口亀鶴は、同社のオーナー社長であつて、会社業務については独断専行することが多く、各取締役あるいは従業員を直接指揮、命令して会社業務を執行していたことが認められる。

この点に関する弁護人らの所論は、被告人山内藤吉は形式的には株式会社太洋の取締役の地位にあるが、実質的には取締役としての業務に従事しておらず、同社の業務については代表取締役社長の山口亀鶴と五名の常務取締役によつて決定されていたものであつて、同被告人が右の決定に関与する余地はなかつた、というのである。

しかしながら、被告人山内藤吉の司法警察員に対する昭和四八年一二月二八日付け供述調書には、「役員会と申しましたのは、重役が別館七階の一室に役員室がありまして、社長外、山内友記、山口博文、谷口肇、松本進の各常務がおられまして、毎日顔を合わせておられますので、特別に今から役員会を開くということではじめられるわけではなく、日常の話の中に役員会での決定ということになつており、私も毎朝出勤しまして、顔を出しておりましたので話合いに加わつたり、必要によつては呼ばれて出席したりすることもあります。要は堅苦しく考えられるようなものではなく会議録みたいなものもありませんでした。」との記載があり、同被告人の司法警察員に対する昭和四九年二月一八日付け供述調書(一〇枚綴りのもの)にも同旨の記載があること、原審第四一回公判調書中の証人吉村久雄の供述部分、同第四二回公判調書中の証人高木雅生の供述部分、同第五四回公判調書中の証人山内友記の供述部分にも右の記載とほぼ符合する記載があることに徴すると、前記のとおり株式会社太洋の代表取締役社長の山口亀鶴をはじめとする取締役らの間で同社の業務に関する話し合いが行われる際に、被告人山内藤吉も取締役として右の話し合いの場に出席して関与する機会のあつたことが認められる。

弁護人らが右所論で指摘する当審第一〇回公判調書中の証人谷口肇の「社長を中心とした常務取締役の間の話し合いは、問題がある都度、行われていた。その話し合いの中に常務取締役以外の取締役が入つてくることはあまりなく、月に何回という程度であり、何か問題があると直接社長のところに持つて行つていた。」旨の供述記載及び当審第一九回公判調書中の証人守山正治の「朝、社長が事務所に来ると、それぞれ各部長達が社長室に集まつて一緒にお茶を飲んでいた。各部長達が朝集まつたときは、午前中一杯社長室に詰めることもあれば、開店時間には店の中に散る場合もあつた。」旨の供述記載は、前記認定と矛盾対立するものではなく、むしろ符合するとさえいうことができるものであり、また、当審第一〇回公判調書中の証人片岡秀寿の供述部分には前記認定に反する記載は存しない。前記認定に反する被告人山内藤吉の当審公判廷における供述は、前記各証拠に照らして到底信用することができず、その他に前記認定を覆すに足りる証拠は存しない。

以上の事実によれば、株式会社太洋では正規の取締役会が開催されることはほとんどなかつたとはいえ、取締役らは毎朝役員室に顔を出してお茶を飲みながら会社業務について協議していたのであるから、その際に被告人山内藤吉が店舗本館についての消防計画の作成とこれに基づく避難誘導等の訓練の実施の必要なことを右の席上で指摘し、あるいはまた代表取締役社長山口亀鶴にも直接意見具申してそのことを充分に理解認識させ、取締役会の決議によつて消防計画の作成等を行い、これを同人に実施させることは充分可能であつたと認められる。

さらに、株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴が、被告人山内藤吉らの取締役あるいは防火管理者である古閑光男ないし被告人園田正満から店舗本館についての消防計画の作成とこれに基づく避難誘導訓練実施の必要性の進言を受けたにもかかわらず、これを拒否したという事実は原審記録及び当審記録からは認められず、むしろ、山口亀鶴の労働基準監督官に対する供述調書及び当審第一九回公判調書中の証人守山正治の供述部分によれば、山口亀鶴は、毎日店舗本館内を巡視し、煙草の吸殻などを拾うなどして防火に注意していたものであり、また、被告人山内藤吉の検察官に対する昭和四九年八月二二日付け及び司法警察員に対する昭和四八年一二月二八日付け各供述調書によると、水害について株式会社太洋では、昭和三一年ころ、常務取締役松本進の指示によつて「災害対策警防要領」と従業員の分担任務を定めた「警防任務分担編成表」が人事課によつて作成され、従業員らに配付されていたことが認められ、これらに照らすと、被告人山内藤吉が、山口亀鶴に対し、あるいは取締役らの話し合いの場において、消防計画の作成とこれに基づく避難誘導訓練の必要性を指摘し、あるいはその旨取締役会で決議すれば、山口亀鶴もこれを直ちに実行していたものと認められる。

2 被告人山内藤吉の本件注意義務違反と結果発生との間の因果関係の存在について

前記第二の一の1において認定した第一の二の(7) の事実によると、株式会社太洋では店舗本館についての消防計画の作成はもとより、従業員に対する消火、通報及び避難誘導の訓練もなされたことはなかつたのであるから、被告人山内藤吉が右消防計画の作成などの注意義務に違反していることは明らかである。

そして、被告人山内藤吉の右の義務違反がなかつた場合には、本件火災の覚知時間と店舗本館の在館者が避難に要する時間とに照らして、本件死傷の結果を回避することができたと認められることについては、前記第二の二において説示したとおりである。

なお、消防計画の作成とこれに基づく避難誘導等の訓練の実施の有効性については、昭和四八年一二月三一日に京都市内の丸物百貨店(現在は京都近鉄百貨店)で発生した火災事故の避難結果からも明らかである。すなわち、原審証人平尾良一、同升田幸男、同岡野景一に対する各尋問調書の記載、京都市消防局長石川巳吉作成の「火災調査結果について」と題する書面によれば、当時、丸物百貨店は、鉄筋コンクリート造り、地下一階、地上七階建てであり、西側に地下一階、地上八階建ての売場を増築工事中で、八階までのコンクリート打ちが終了して内装工事中であつたこと、同百貨店では消防計画を作成し、これに基づいて二か月に一回の割合で自衛消防隊の通報、避難誘導、初期消火の訓練を実施するなどしていたこと、昭和四八年一二月三一日午後二時四〇分ころ丸物百貨店四階のカーテン売場から出火したが、これを発見した女子店員は直ちに七階の電話交換室に火災の発生を通報し、これを受けた電話交換手が同日午後二時四一分三〇秒ころ店内放送で従業員に指示に従つて避難誘導することを呼び掛けるとともに、防火管理者や消防署への火災発生を連絡した結果、その当時在店していた地階八〇〇名、一階七〇〇名、二階三五〇名、三階四〇〇名、四階一五〇名、五階四〇〇名、六階六〇〇名、七階五〇〇名、屋上一〇〇名(いずれも概数)の客は、従業員らの誘導にしたがつて店内四か所の階段を利用して同日午後二時四六分ころまでには避難の途中で足を捻挫した一名の客を除き全員無事に店外に避難を終えたことが認められる。

3 まとめ

以上のとおり、株式会社太洋の取締役会の構成員の一員である被告人山内藤吉は、同社が従業員、客及び工事関係者に対して負う安全配慮義務あるいは安全確保義務を履行するため、店舗本館についての消防計画の作成と同計画に基づく従業員に対する消火、通報及び避難誘導の訓練の必要なことを役員室での取締役間の話し合いの場で指摘し、あるいは同社代表取締役社長の山口亀鶴に直接意見具申することによつて、右の消防計画の作成等を実施し、本件火災による店舗本館の在館者の死傷の結果を防止すべき業務上の注意義務があつたにもかかわらず、同被告人において実行することが可能であつた右注意義務の履行を怠つたため、本件死傷の結果を惹起したものであるところ、原判決は証拠の取捨選択及び評価を誤つて右の事実を認定しなかつた事実誤認の違法があるといわなければならない。

なお、この点に関して弁護人衛藤善人は、当審における弁論において、被告人山内藤吉の株式会社太洋での取締役としての注意義務については、当審における検察官の弁論で初めて主張されるものであつて、もともと本件の訴因に含まれていないし、たとえそれが含まれているとしても注意義務の内容としては不十分である、と主張する。

なるほど、右所論のとおり、被告人山内藤吉の株式会社太洋の取締役としての地位に基づく注意義務違反の点については、原審第三回公判(昭和五四年四月二八日)で行われた検察官の冒頭陳述及び原審第七一回公判(昭和五六年一二月七日)に行われた検察官の諭告のいずれにも触れられていない事柄である。

しかしながら、被告人山内藤吉に対する本件訴因は前記第一の一に記載のとおりであつて、「取締役人事部長として、」以下の「同社の従業員らの安全」から「同社代表取締役山口亀鶴を補佐して、」までについては、取締役人事部長の職務内容に関する記載であり、「同社の防火管理者である」から「火災発生時における従業員及び来客の安全を図るべき業務に従事していたもの、」までについては、被告人山内藤吉が刑法二一一条にいう「業務」に従事していたことの記載であるとして理解することができる。

すると、被告人山内藤吉に対する本件訴因は、これを要約すると、「被告人山内藤吉は、株式会社太洋の取締役人事部長として、火災発生時における従業員及び来客の安全を図るべき業務に従事しているものであるところ、右業務に基づき消防計画を作成し、火災が発生した場合にはすみやかに消火し、早期に従業員らに通報して安全に避難できるよう当該計画に基づいて各種の訓練を実施すべき注意義務があるにもかかわらず、これを怠つたため、新美亀喜ら一〇四名を死亡させ、野田三津恵ら六七名を負傷させた。」というものであり、被告人山内藤吉が株式会社太洋の取締役の地位にあること並びに右の地位に基づき火災発生時における従業員及び客の安全を図るべき業務に従事しているものであることが明示されているのである。

これに加えて、検察官は、原審第二回公判(昭和五〇年三月三一日)において、本件の訴因に変更前の当初の訴因に記載されていた被告人山内藤吉が「取締役人事部長として、従業員の安全及び教育を担当する立場から、従業員並びに来客の安全を図るため、平素から防火教育を施すとともに、火災発生の場合には安全を確保できるよう各種の訓練を実施すべき業務」に従事していたとの点について、弁護人から右業務の法的根拠の説明を求められたのに対し、「取締役兼人事部長として、その職務、地位から条理上従事していたという趣旨である。」と釈明していることに照らすと、変更前の訴因と同旨の本件訴因においても、被告人山内藤吉には人事部長のほかに取締役としての地位に基づく業務による注意義務があるとされていることが明らかである。

また、本件訴因において、被告人山内藤吉に対する注意義務の内容が具体的に記載されていることについては、「被告人山内藤吉は、消防計画を作成し、火災が発生した場合にはすみやかに消火し、早期に従業員らに通報して安全に避難できるよう当該計画に基づいて各種の訓練を実施すべき業務上の注意義務があり、」との記載自体から明白であつて、業務上過失致死傷罪の訴因の注意義務の記載として不十分なところはない。

そして、被告人山内藤吉に株式会社太洋の取締役としての地位に基づく注意義務があることについては、前記のとおり原審記録及び証拠によつて認めることができるのみならず、この点に関しては、当審公判期日において、検察官及び弁護人の双方とも弁論をなし、かつ、被告人山内藤吉も弁護人の被告人質問に代えて弁明書を提出しているところである。

右の諸点に照らすときは、当裁判所が被告人山内藤吉の株式会社太洋の取締役としての注意義務を認定するについて、弁護人衛藤善人の所論のように、訴因の変更を要しないのはもとより、これが同被告人に対し不意打ちを与え、その防禦権を不当に侵害することはないと認められる。

五  被告人酒井實の刑事責任について

1 被告人酒井實の注意義務について

(一) 被告人酒井實が前記第二の二の結果回避措置をとるべき立場にあつたことについて

被告人酒井實の検察官(昭和四九年六月二七日付け)及び司法警察員(昭和四八年一二月二八日付け)に対する各供述調書によれば、被告人酒井實は、昭和二七年八月一日株式会社太洋に入社し、同年一〇月一〇日店舗本館での営業開始と同時に実用呉服売場主任となり、昭和四二年四月に定年のために嘱託の身分となつたが、同年五月営業部第三課長となつて本件火災当時まで、店舗本館三階にある小物売場、京呉服売場、実用呉服売場、和装既製品売場、寝具売場、手芸品売場、タオル売場、履物売場を統轄し、右各売場における商品の仕入及び売上の調節並びに管理、従業員(株式会社太洋の正社員五二名、臨時雇い一四名、問屋からの派遣店員一〇名)の人員配置及び管理指導などを担当していたことが認められる。

また、原審第四四回及び第四五回公判調書中の被告人酒井實の各供述部分、同第四八回公判調書中の被告人園田正満の供述部分、同第五一回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分、同第一八回公判調書中の証人渡辺喜代人の供述部分、同第二二回公判調書中の証人林熈美の供述部分、同第三一回公判調書中の証人吉田行範の供述部分、同第三四回及び第三五回公判調書中の証人古閑光男の各供述部分、被告人酒井實の検察官(昭和四九年一一月二六日付け)及び司法警察員(同年一月二四日付け、同年三月四日付け)に対する各供述調書、被告人山内藤吉の検察官に対する同年八月二二日付け供述調書、被告人園田正満の検察官に対する同年六月二八日付け供述調書、田中正信、釘宮六助(同年一一月二一日付け)の検察官に対する各供述調書、原審で押収の一階消防編成表一枚(原庁昭和五〇年押第四九号の1)、地階消防編成表一枚(同号の2)、三階消防編成表一枚(同号の4)、消防編成表一枚(同号の7)、消防雑綴一冊(同号の9)、稟議書綴一冊(同号の40)、百貨店協会連絡等綴一冊(同号の41)及び当審第六回公判調書中の証人古閑光男の供述部分によれば、古閑光男は、昭和三六年一〇月三一日付けで株式会社太洋の防火管理者に選任された後、各課長をその担当課の火元責任者に選任し、各階毎の消防編成を作成するなどしたこと、火元責任者及び副火元責任者名は、店舗本館では各階の従業員階段から売場への入口などに、また、第一及び第二別館では各課毎にそれぞれ掲示されていたが、古閑光男は、昭和四二年一一月二二日に熊本市消防局の立入検査が行われるのを契機として火元責任者の責任を明確にするため、その前日の二一日に株式会社太洋防火管理者名で各所属長宛に「火災予防其他について」と題する書面を回覧し、右書面には、「火元責任者は各課長が特命なくとも任ぜられ、副火元責任者は火元責任者が任命する。」「火元責任者は非常時に於ける社員の行動について充分指導のこと、イ火災発生のときは発見者は直ちに所属長及10階事務所に連絡する、ロ附近の者は先ずお客様を安全に誘導避難させる、ハ消火器係は消火器により火元の消火を行う、ニ消火に支障となる品物の移動をする、ホ商品を搬出し保管する、へ盗難防止」などと記載されていたこと(なお、その当時店舗本館一〇階には事務所があつて、株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴らの重役が在室していた。)、さらに、古閑光男は、昭和四三年三月二日にも「春の火災予防旬間実施計画表」を起案し、株式会社太洋の代表取締役社長山口亀鶴らの決裁を得た上でそのころ右計画表を複写したものを社内に配付したが、その中には「各課長は命なくとも担当課の火元責任者に選任されその責務を負ふことになつています。火元責任者は次のことを行わねばなりません。1編成に関すること イ火元責任者は課員中より副火元責任者を選任し、補佐せしめる。ロ火気取扱者の選任、火気を使用する場合(喫煙所も含む)に必ず火気取扱者を選任しなければならない。2日常の防火管理に関すること イ喫煙及火気使用に関すること。ロ整理整とんおよび清掃に関すること。ハその他火災予防上必要なこと。3定期検査に関すること イ消火器の外部検査。ロ火気関係施設及器具の管理状況の検査」などの事項が記載されていたこと、消防編成については、株式会社太洋では各課毎に消火班、通報連絡班、避難誘導班、防火シヤツター閉鎖・工作・搬出班が編成されており、店舗本館地階から八階までの各階にも右消防編成があり、各階の課長において右消防編成の各班員名を記載した消防編成表を各階事務所の壁などに貼付していたこと、店舗本館三階にある第三課では、被告人酒井實が昭和四二年五月に第三課長に就任するまでは、前任の第三課長増野睦治が火元責任者、被告人酒井實が副火元責任者になつていたこと、被告人酒井實は第三課長になつて火元責任者の地位に就いたのにともなつて副火元責任者に寝具売場主任山崎輝夫を選任し、昭和四七年五月、株式会社太洋の各課に配付された消防編成表に従つて、山崎輝夫と相談しながら第三課の消防編成を行い、通報連絡班七名、避難誘導班六名、消火班六名、救護班七名、防火シヤツターの閉鎖・工作・搬出班五名を選出して三階事務所の壁に貼り出し、その翌日ころの朝礼の際に三階の従業員に対して右の消防編成を発表したうえで、各班の役割を説明したが、被告人酒井實も防火シヤツターの閉鎖・工作・搬出班の一員となつていること、被告人酒井實は第三課長就任後に前記の「火災予防其他について」と題する書面及び「春の火災予防旬間実施計画表」を見て火元責任者の責務を認識していたが、部下従業員に対して火災発生の通報、消火、延焼防止、避難誘導についての訓練をしたことは一度もないことが認められる。

以上の事実関係によると、もともと株式会社太洋の従業員は、多数の者が出入りし、又は勤務する百貨店の勤務者として、条理上あるいは消防法二五条、同法施行規則四六条三号により、消防隊が火災の現場に到着するまでの間、消火若しくは延焼の防止又は人命の救助を行うべき義務を有しているものであるところ、被告人園田正満の前任の防火管理者古閑光男が同社各課の課長を火元責任者に指定するとともに各課毎の消防編成を定め、火元責任者に対し、代表取締役社長山口亀鶴ら重役への火災発生の通報、消火、延焼防止、避難誘導などについて日頃から部下従業員を指導すべき責務を負わせていたものであり、これが本件火災当時まで存続していたことが認められる。

すると、株式会社太洋の第三課長として店舗本館三階の火元責任者の地位にあつた被告人酒井實は、日頃から三階の各売場従業員に対し、代表取締役社長山口亀鶴ら重役への火災発生の通報、消火、延焼防止、避難誘導の訓練を行い、火災発生時には、部下従業員を指揮して三階の各防火シヤツターを閉鎖し、延焼防止などを図るべき立場にあり、かつ、これが同被告人の三階の課長及び火元責任者としての刑法二一一条にいう「業務」であると認められる。

なお、前記の第三課の消防編成によると、被告人酒井實は防火シヤツターの閉鎖・工作・搬出班の一員となつているが、被告人酒井實が右の班員であることと店舗本館三階の各売場従業員を指揮して延焼防止などを図るべき立場にあることとは両立しえないものではないので、被告人酒井實が右の立場にあることの認定を妨げるものではない。

この点について、弁護人らは、当審における弁論において、火元責任者の任務は火気の取り締まりにあるのであつて、前記の「火災予防其他について」と題する書面は、その当時の防火管理者古閑光男が火元責任者に対して従業員を指導して欲しいとの希望を述べたもの、また、「春の火災予防旬間実施計画表」と題する書面は、「各課長は」との言葉が用いられているところからも明らかなように、火元責任者に宛てられた文書ではなく、むしろ、消防法二五条と同一内容を繰り返したに過ぎないものであり、これらの文書を根拠として店舗本館三階の課長であり、火元責任者である被告人酒井實が、前記認定のように日頃から部下従業員を訓練し、火災発生時には、部下従業員を指揮して初期消火あるいは三階の各防火シヤツターを閉鎖し、延焼防止などを図るべき立場にあつたとすることはできない、と主張する。

しかしながら、被告人酒井實の検察官に対する昭和四九年一一月二六日付け供述調書には、「火元責任者であり消防編成の責任者である各課長の任務は、火気の注意、火災発生時における消火、通報、避難誘導、従業員に対する防火訓練などであると思つていました。」との記載があり、同被告人の司法警察員に対する同年一月二四日付け及び同年三月四日付け各供述調書にも同旨の記載があつて、同被告人は原審公判廷(第四四回、第六一回、第六二回)でもこれを維持していること、被告人酒井實以外の店舗本館の火元責任者らについて、その任務に関する認識をみるに、地階の次長である田中正信の検察官に対する供述調書には、「各階の次長、課長等の責任者は当然にその階の火元責任者となります。また先程述べた各階毎の自衛消防隊の責任者は各階の火元責任者です。従つて次長、課長等各階の責任者は消火に関してもその階の責任者になります。このような関係ですから火元責任者といつても普通いわれるような単に火気取締だけの火元責任者ではありません。火元責任者の任務としては第一に火事が発生した場合、初期消火を行い避難誘導をしなければなりません。全館に対する通報については直ちに本部に連絡し、その指示をうけてやるべきだと思います。しかしそのような余裕がない場合には各階責任者の判断で交換台に指示し非常放送を行わせるべきだと思います。右に本部と言いましたがこれは重役室か人事部長の事です。火気に注意し火事を出さないように配慮することは当然の任務です。日頃の訓練についても消火器や消火栓の位置を確認させたりその使用方法を教えたり通報の仕方を指示する等の各階で比較的容易に出来るものについてはやはり火元責任者の任務になります。」との記載があり、一階の課長である渡辺喜代人の原審第一八回公判調書中の供述部分、二階の外商部次長である森田健次郎の原審第一九回公判調書中の供述部分、五階の次長兼第一課長である林熈美の原審第二二回公判調書中の供述部分、六階の次長兼課長である釘宮六助の検察官に対する昭和四九年一一月二一日付け供述調書にも同旨の記載があること、第一別館六階の火元責任者の一人である人事課長代理の吉田行範の原審第三一回公判調書中の供述部分にも右と同旨の記載があること、さらに、被告人園田正満の前任の防火管理者である古閑光男の当審第六回公判調書中の供述部分には、「火元責任者の任務には、火気の取り締まりのほかに初期消火、消火設備付近の整備やこれらについての課員に対する指導がある。『火災予防其他について』と題する書面及び『春の火災予防旬間実施計画表』と題する書面は、防火管理者としての立場から火元責任者に対し、右各書面に書かれている内容の指導の実施方を促したものである。」旨の記載があることに徴すると、火元責任者の任務は、単なる火気の取り締まりに止まらず、前記認定のように日頃から部下従業員を訓練し、火災発生時には、部下従業員を指揮して初期消火あるいは防火シヤツターを閉鎖し、延焼防止などを図るべき立場にあつたことが明らかである。

右認定に反する第一別館七階の火元責任者である経理部次長兼第一課長の宮崎邦嘉の検察官に対する供述調書中の「火元責任者の任務は火元の取締だと思つて居ました。火事が発生した場合の消火通報避難誘導、別館七階における日頃の訓練等の責任者は自衛消防隊の責任者である音光寺だと思つていました。」との記載は、宮崎以外の火元責任者らが一致して前記のとおり供述していること及び当審証人古閑光男の前記供述記載に照らすと、宮崎の推測や思い違いないしは認識不足であることが明らかであり、他に右認定を覆すに足りる証拠は存しない。

ところで、店舗本館C号階段の二階踊場から四階踊場にかけての寝具などの商品入りダンボール箱は三階売場の商品であるから、その管理義務が三階課長である被告人酒井實にあつて、それが課長としての職務の一つであることについては、前記のとおりである。

しかしながら、店舗本館C号階段の二階踊場から四階踊場にかけての寝具などの商品入りダンボール箱の管理は、被告人酒井實の三階の課長としての職務のうちの商品管理という点から、同被告人に義務付けられているに過ぎないのであつて、火災等の危険を防止し、従業員や客の安全を確保するという点から期待されている仕事ではないことに徴すると、本件火災事故についてはこれを刑法二一一条の「業務」ということはできない。

(二) 被告人酒井實が本件結果の発生を予見し、その予見に従つて結果の発生を回避することが可能であつたことについて

(1)  被告人酒井實の本件結果発生の予見可能性について

前記第二の一の1において認定した第一の二の(3) 及び(5) の事実によると、本件火災は、店舗本館C号階段の二階から三階への上り口付近から出火し、C号階段に間断なく積み重ねてあつた寝具などの入つたダンボール箱を次々と焼毀して三階店内に延焼したものであるところ、その当時、店舗本館三階の実用呉服売場にいた被告人酒井實は、宮崎(旧氏本田)千代子から火事の知らせを受け、C号階段前の三階店内から同階段を覗いたときに同階段でダンボール箱一個が燃えているのを現認しているのみならず、原審第四四回公判調書中の被告人酒井實の供述部分によると、同被告人は、本件火災当時、C号階段の二階踊場から四階踊場にかけて、右ダンボール箱が一段もしくは二段に間断なく積み重ねられていることを知つていたことが認められる。

このような場合、店舗本館C号階段の火災が前記ダンボール箱を次々と伝つて三階店内に延焼し、ひいては店舗本館全体に燃え拡がる大火災となつて在館者を死傷に至らしめる危険性のあることは、被告人酒井實と同様の立場にある一般通常人にとつても容易に予見することができたといわなければならない。

すると、株式会社太洋の三階の課長及び火元責任者として前記第二の五の1の(一)で説示したとおりの立場にある被告人酒井實としては、右の予見に従つて本件結果の発生を回避するため、本件火災の程度及び状況を把握し、直ちに部下従業員を指揮して、C号階段三階の防火シヤツターを閉鎖することによつて三階店内への延焼を防止すべきであつたことが認められる。

しかしながら、本件火災以前において、被告人酒井實と同様百貨店の売場課長の地位にある一般通常人が、店舗本館C号階段に積み重ねられた商品入りのダンボール箱から出火することを予見することはできなかつたといわなければならず、右の予見がない以上、右ダンボール箱が延焼することもまた予見することができなかつたというべきである。

すなわち、本件火災当時、店舗本館C号階段の二階踊場から四階踊場にかけてタオルあるいは蚊帳などの三階売場の商品がダンボール箱に入れられて置かれていたのであるが、右商品自体は出火の危険性のあるものではないこと、熊本市消防局あるいは熊本市中央消防署が店舗本館の立入検査の際にC号階段の商品を撤去するように指摘したのは、同階段が火災等の災害のときに避難階段として使用される場合の避難の妨げにならないようにするためであること(これについては、原審で押収の消防雑綴一冊(昭和五〇年押第四九号の9)中の熊本市中央消防署作成の昭和四六年七月九日の立入調査結果通知書の避難設備欄に「<5>店舗用階段及び従業員階段に置いてある物品は避難上支障になるので除去すること」と記載されているところから明らかである。)に照らすと、本件火災以前において、被告人酒井實と同様の地位にある一般通常人にとつて、右ダンボール箱から出火することを予見することは不可能であるといわなければならず、ましてや、その火が次々と右ダンボール箱に着火して三階店内に至つて火災となろうとは何人も思いも及ばぬところであつて、従つて、右ダンボール箱が延焼の原因となることもまた予見することはできなかつたというべきである。

すると、前記第二の二において説示したとおり、店舗本館C号階段の二階踊場から四階踊場にかけて商品入りダンボール箱が放置されていたことと本件結果発生との間には因果関係があるが、本件火災以前において、右ダンボール箱が本件火災の出火及び延焼の原因となることについての予見可能性はないのであるから、右ダンボール箱からの出火を前提として、被告人酒井實に対し、右ダンボール箱をC号階段内に放置しないようにすべき注意義務があるということはできない。

(2)  被告人酒井實が店舗本館C号階段の防火シヤツターを閉鎖することが可能であつたことについて

本件火災の出火及び延焼状況並びに被告人酒井實を含む店舗本館三階従業員らの状況については、前記第二の一の1において認定した第一の二の(3) 及び(5) のとおりである。すなわち、被告人酒井實は、本件火災当時、店舗本館三階のC号階段の手前まで行き、同所でC号階段の二階と三階の間のダンボール箱一個が燃えているのを見て、付近にいた従業員に消火器を持つて来るように命じているのである。

この点について、被告人酒井實は、検察官に対する昭和四九年六月二七日付け供述調書において、「私は、パツキンケースが炎を上げて燃えてはいたものの、その数は一個だけでありましたので、この程度なら消火器を使えば消火出来ると思いましたので、踊場の手前に立つて『消火器を持つて来い』と誰に言うでもなく叫びました。」と供述し、司法警察員に対する同年三月五日付け供述調書及び原審第四四回公判調書中でも同旨の供述をしているのであるが、被告人酒井實よりも先に店舗本館C号階段の三階踊場に駆けつけた小堀咲子、宮崎(旧氏本田)千代子、岡本二三男、榎田満善の四名は、C号階段の二階と三階の間の西南角踊場付近のダンボール箱が天井付近まで炎あるいは煙を上げて燃えていたのを目撃していることに照らすと、その当時被告人酒井實がC号階段三階の踊場手前で止まることなく右踊場まで足を踏み入れていれば、小堀らと同様の火災の状況を目撃していたものと認められ、C号階段のダンボール箱の状況からして到底消火器のみで本件火災を消火することは困難であることを判断することができたはずである。

ところで、宮崎(旧氏本田)千代子らが本件火災に気付いたのが午後一時二〇分ころであり、また、本件火災が店舗本館三階店内の西側壁に沿つて陳列してあつた婚礼布団に燃え移つたのが午後一時二二分ころであること、この間、宮崎は三階寝具売場の包装台付近からC号階段の三階踊場に駆けつけて火災を発見した後、直ちに三階店内へ引き返して実用呉服売場にいた被告人酒井實に火事を知らせ、他方、被告人酒井實は、宮崎から火事の知らせを受けてC号階段の三階踊場手前まで行き、同所でC号階段の二階と三階の間のダンボール箱が一個燃えているのを見た後、付近の従業員に対し消火器を持つて来るように命じるとともに、自らはC号階段入口の店内にあつたダンボール箱を移動させ、さらにC号階段とD号階段前の三階店内にあつた座布団陳列棚を移動させようとしていた際、本件火災が三階店内西側壁に沿つて陳列してあつた婚礼布団に延焼したものであること、宮崎が本件火災に気付いた寝具売場包装台付近からC号階段踊場まで約二六メートル、被告人酒井實が宮崎から火事の知らせを受けた実用呉服売場からC号階段入口まで陳列ケース間の通路沿いで約二七メートル、被告人酒井實が移動させたダンボール箱の移動距離は約九メートルであること(右の事実は、原審第四四回公判調書中の被告人酒井實の供述部分、被告人酒井實の検察官(昭和四九年六月二七日付け)及び司法警察員(同年三月五日付け)に対する各供述調書、原審第一一回公判調書中の証人宮崎(旧氏本田)千代子の供述部分、司法警察員皆越厚作成の同年二月一〇日付け実況見分調書及び被告人酒井實の当審公判廷における供述によつて認められる。)に照らすと、被告人酒井實がC号階段踊場の手前でダンボール箱一個が燃えているのを見てから本件火災が三階店内に延焼するまでの時間は、原審第四五回公判調書中の被告人酒井實の供述部分、被告人酒井實の検察官(同年六月二七日付け)及び司法警察員(同年二月二日付け)に対する各供述調書にもあるとおり、約一分と認めるのが合理的である。

また、司法警察員西田次雄作成の昭和四九年七月八日付け捜査報告書によると、店舗本館C号階段の防火シヤツターは、電動式の開閉シヤツターであり、降下ボタンを押してから完全に閉鎖するまでに約三四秒を要することが認められる。

そして、本件火災当時、本件火災が店舗本館C号階段から三階店内の西側の婚礼布団に延焼した後、被告人酒井實の指示で岡本二三男がC号階段の防火シヤツターの降下ボタンを押したときに、降下を開始した右防火シヤツターが途中で停止したのは、前記第二の一の1の(二)において認定したとおり、三相用開閉器のヒユーズが本件火災によつて溶断し、電源が切れてモーターが停止したためであるから、右溶断よりも約三四秒前に降下ボタンが押されていれば、右防火シヤツターは完全に閉鎖していたことが認められる。

以上の事実関係によると、被告人酒井實が宮崎から火事の知らせを受けたときに、店舗本館C号階段三階の踊場まで足を踏み入れて本件火災の程度を把握した後、直ちにその場に居合わせた岡本二三男らの従業員に対してC号階段の防火シヤツターの閉鎖を命じていれば、本件火災が三階店内に延焼する以前に右防火シヤツターは完全に閉鎖していたことが明らかである。

2 被告人酒井實の本件注意義務違反と結果発生との間の因果関係について

前記第二の一の1において認定した第一の二の(5) のとおりの事実によれば、被告人酒井實が店舗本館C号階段の防火シヤツターの閉鎖を岡本二三男に命じたのは、本件火災が三階店内に延焼した後であるから、同被告人がC号階段の防火シヤツターを閉鎖して本件火災が三階店内に延焼するのを防止すべき義務に違反していることは明らかであり、また、同被告人が三階売場の従業員らに対し、日頃から火災に備えて延焼防止の措置の訓練を実施していれば、右の防火シヤツターの閉鎖がより迅速になされたであろうこともまた認められる。

そして、被告人酒井實の右の注意義務違反がなかつた場合には、前記第二の二において説示したとおり、本件死傷者のうち、少なくとも店舗本館二階から五階までの各階で死亡あるいは負傷した者については、その死傷の結果を回避することができたと認められるのであるから、この間に因果関係があることも明らかである。

なお、被告人酒井實に対する本件公訴事実中には、<1>火災発生時には、直ちに部下従業員を指揮して迅速的確な初期消火を行うべき注意義務、<2>全館に火災の発生を通報して客及び従業員に避難の機を逸せしめない措置を講ずべき注意義務があるとされている。

しかしながら、右<1>の注意義務の結果回避のための措置と本件結果発生との間の因果関係の存在には、疑問の余地がある。

なるほど、検察官の所論のとおり、技術吏員堀江長誠作成の昭和四九年七月三日付け調査報告書、司法警察員西田次雄作成の同年六月一八日付け検証調書によれば、本件火災当時、店舗本館の地階から七階までの各階には、屋内消火栓が中央エスカレーター西南隅、中央階段東北隅、店内西壁のほぼ中央部の三か所に各一基ずつ設置されていたこと、各消火栓には消火栓用のパイプにホースが接続され、ハンドルでバルブを緩めれば九階の屋上に置いてある二〇トン入り水槽からの水圧で水が放出される仕組みとなつていること、消火ホースは長さ二〇・二〇メートル、直径四センチメートルで、その先端に長さ五〇センチメートル、直径一センチメートルの真鍮製の筒口がついていること、水圧は約二・七トン、毎分の放水量は約一〇八リツトル、放水有効到達距離は、筒口角度が水平の場合約一一メートル、三〇度の場合約一四メートル、四五度の場合約一三メートルであること、C号階段に最も近い中央エスカレーター西南隅の消火栓から消火ホースをC号階段に向けて伸長する場合、三階売場の商品陳列ケース間の通路に沿つて伸長するのが通常であるところ、そのときの筒口の位置は、C号階段への入口から八・八メートル店内側で寝具売場と裁縫用品売場の通路の中間付近になることが認められ、これによると被告人酒井實が三階の従業員を指揮し、右消火栓を使用して消火活動を行つていたときは、本件火災を消火することが可能であつたといえなくもない。

しかし、司法警察員奥村賢作成の昭和四八年一二月二〇日付け検証調書中の「三階の検証」部分、司法警察員皆越厚作成の昭和四九年二月一〇日付け実況見分調書、司法警察員神原信行ほか二名作成の写真撮影報告書によれば、前記筒口の位置からは、店舗本館三階のC号階段入口前に置いてある高さ約一・五メートルの座布団棚、三階店内西南角の柱や壁(C号階段の防火シヤツター取付柱を含む)などに妨げられてC号階段内に直接注水可能な範囲が狭くなつていることが認められるうえ、前記第二の一の2において認定したとおり、三階の従業員が本件火災を発見してから三階店内に延焼するまで約二分間の余裕しかないことに徴すると、本件火災当時、たとえ被告人酒井實が三階の従業員を指揮して中央エスカレーター西南隅の消火栓を使用して消火活動を行つていたとしても、本件火災が三階店内に延焼する前に確実に消火することができたかどうかについては、疑問の余地があるといわなければならない。

さらに、原審証人の建築防災学の専門家である東京大学名誉教授星野昌一に対する尋問調書中には、「あそこの店員さんが消火栓を引つ張り出して消火していたら一〇〇パーセント消えていたということは明言できません。」との記載が、また、当審第一八回公判調書中の証人細井三郎の供述部分中にも、「C号階段西北角の柱と売場入口のシヤツター取付柱との間のダンボールが燃焼した場合には、これに直接注水することができないので火勢を制圧することができないため、三階店内への延焼を食い止めることができない。」旨の記載があることに照らしても、右<1>の注意義務の結果回避のための措置と本件結果発生との間の因果関係の存在には疑問の余地があるといわなければならない。

また、右<2>の注意義務の結果回避のための措置については、そもそも被告人酒井實が店舗本館全館に火災の発生を通報しなければならない立場にあつたかどうかに関し、前記第二の五の1の(一)において説示した同被告人の三階の課長及び火元責任者としての責務に照らして疑問があるのみならず、たとえこれを肯定し、同被告人において右の通報を行うべき注意義務があるとしても、その注意義務と本件結果発生との間の因果関係の存在にも疑問の余地がある。

すなわち、前記第二の一の1において認定した第一の二の(6) 及び(7) のとおりの事実によると、本件火災当時、店舗本館三階以上の階の在館者が中央階段及び従業員階段を避難階段として利用して従業員の誘導によつて整然と避難しても、安全階である二階まで避難するためには約三分三〇秒を要するのに、右在館者が現実に避難することができたのは、三階の従業員が火災を発見した午後一時二〇分ころから午後一時二五分ころまでの僅か五分足らずの間だけであるところ、株式会社太洋では、火災等の災害を最小限に防止するために必要な店舗全館にわたる自衛消防組織、その活動方法及び訓練等についての実施細目を定めた消防計画の作成、消火、通報及び避難誘導などの訓練がなされたことは一度もなかつたのであるから、たとえ被告人酒井實が本件火災を発見した直後に何らかの方法により店舗本館全館に通報していたとしても、従業員によつて三階以上の階の在館者に対し、迅速的確な避難誘導が行われ、右在館者全員が無事に安全階である二階以下の階に避難することができたと認めることは困難である。

すると、右<2>の注意義務の結果回避のための措置と本件結果発生との間の因果関係の存在にも疑問の余地があるといわなければならない。

3 まとめ

以上のとおり、被告人酒井實は、株式会社太洋の第三課長及び店舗本館三階の火元責任者として、火災による災害を最小限に防止するため平素から三階各売場の従業員に対し、消火、延焼防止等の訓練を実施し、本件火災発生に際しては右従業員を指揮して三階C号階段の防火シヤツターを直ちに閉鎖して三階店内への延焼を防止することによつて、火災による在館者の死傷の結果を防止すべき業務上の注意義務を負つていたにもかかわらず、同被告人において実行することが可能であつたと認められる右注意義務の履行を怠つたため、C号階段から出火した火災を三階店内に延焼させ、その結果、店舗本館三階から五階にかけての各階において、在館者を死傷に至らしめたものであるところ、原判決は証拠の取捨選択及び評価を誤つて右の事実を認定しなかつた事実誤認の違法があるといわなければらない。

六  被告人園田正満の刑事責任について

1 被告人園田正満の注意義務について

(一) 被告人園田正満が本件注意義務を負うべき立場にあつたことについて

原審第四八回、第四九回、第五〇回、第六二回、第六三回公判調書中の被告人園田正満の各供述部分、原審第五一回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分、被告人園田正満の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、被告人山内藤吉の検察官に対する昭和四九年八月二二日付け供述調書、原審第三一回公判調書中の証人吉田行範の供述部分、同第三四回公判調書及び第三五回公判調書中の証人古閑光男の各供述部分、同第四六回公判調書中の証人坂本登の供述部分、原審で押収の消防雑綴一冊(原庁昭和五〇年押第四九号の9)、書類綴一冊(同号の11)防火管理者選任(解任)届出書二通(同号の17、18)、日記帳一冊(同号の30)、営繕課覚書ノート一冊(同号の31)、現場手帳一冊(同号の43)、手帳一冊(同号の44)によれば、被告人園田正満は、二級建築士の資格を有していたことから、昭和四五年八月二四日株式会社太洋に採用され、その二、三日後、既に同社を退職していた営繕部長の古閑光男から店舗本館を初め関連会社の建築物の修理や建物の維持管理に関する事項についての事務引き継ぎを受けるとともに、ナシヨナル住宅部建築相談員として勤務するようになつたが、同年一一月中旬ころ常務取締役山内友記から営繕部営繕課への配置換えを命じられ、各種届出の更新事務、店舗本館店内の修理申し出の受付、図面の作成等を担当していたこと、株式会社太洋では、防火管理者制度の発足以来、毎年のように同社の従業員を熊本市消防局が行う防火管理者資格講習会に派遣していたが、被告人園田正満は、人事課長代理の吉田行範の指示により、昭和四六年六月八日と九日の両日にわたつて熊本県立図書館で開催された右講習会で防火管理者の責務、消防計画の作成等を内容とする講習を受け、消防法施行令三条の防火管理者となりうる資格を取得したこと、株式会社太洋では昭和三六年一〇月三一日付けで営繕課長古閑光男が防火管理者として株式会社太洋取締役社長山口亀鶴名で熊本市消防長宛に届け出られ、同人が同社の防火管理業務を担当していたが、昭和四五年八月一五日付けで同人が同社を退職した後も、後任の防火管理者が選任されないまま放置されていたため、昭和四六年七月九日に行われた消防法四条に基づく熊本市中央消防署の立入検査の検査結果の通知書で「防火管理者の選解任届出をなすこと」との指摘がなされ、その後更に、熊本市消防局から株式会社太洋に対し、防火管理者の選任及び解任の届出書を提出するようにとの書類が送られてきたこと、そこで、株式会社太洋の人事課長代理吉田行範は、人事部長の被告人山内藤吉と相談し、当初は元熊本市消防局次長兼総務課長で同社の渉外部長であつた坂本登を防火管理者に選任すべく同人と交渉したが、同人から断られたため、山口亀鶴の指示により被告人園田正満を防火管理者に選任することとし、同被告人にその名前などが記載されている防火管理者選任(解任)届出書の用紙を示し、その職歴欄のみを記載させたうえ、昭和四七年一二月一五日付けで熊本市消防長に対し、株式会社太洋取締役社長山口亀鶴名で被告人園田正満を防火管理者に選任するとともに、古閑光男を防火管理者から解任する旨の右届出書を提出したことが認められる。

そして、被告人園田正満の検察官(昭和四九年六月二九日、付け)及び司法警察員(昭和四八年一二月一七日付け、同月一八日付け、同月一九日付け、同月二一日付け、同月二二日付け、同月二四日付け、昭和四九年二月二〇日付け)に対する各供述調書、原審第七回及び第八回公判調書中の証人野村功の各供述部分、同第三〇回公判調書中の証人野田逸喜の供述部分、同第三一回公判調書中の証人音光寺正己の供述部分、原審で押収の書類綴一冊(原庁昭和五〇年押第四九号の11)、昭和四八年一月二四日付け立入検査についての回覧紙一枚(同号の12)、「昭和四八年四月二四日付け地下店舗の特別査察の結果について」と題する書面一部(同号の13)、日記帳一冊(同号の30)によれば、被告人園田正満の防火管理者選任後の防火管理業務の執行状況として、次のとおりの事実が認められる。

(1)  昭和四八年一月二三日、被告人園田正満は、熊本市建築指導課の担当者から電話で同月二六日に同指導課と消防署の合同で店舗本館等の消防関係、防火区画等の立入検査を行うとの連絡を受けたため、同月二四日に「営繕課園田」名で各課長及び防火管理者資格講習会受講者に対し、「一月二六日(金)午前9時より消防署ならび市建築指導員によリ立入検査がありますので各階の防火区画、階段、屋内消火栓、お客様用階段上り、下り端当りのケース等の障害物整理をお願いします。」と記載した書面を回覧した。

その後、消防署の立入検査は中止になつたが、被告人園田正満は、昭和四八年一月二六日に行われた熊本市建築指導課係員による各階の防火シヤツターや階段廻りの状況についての立入検査に営繕課長の中原芳夫や各階の課長と共に立ち会い、同年二月二日熊本市建築指導課に赴いて、防火シヤツターのレールを陳列ケースで塞がないようにすることや階段の上り口に商品などを置かないようにすることなどを内容とする是正指示書を受け取り、これを中原営繕課長に渡して報告した。

(2)  昭和四八年一月二五日、被告人園田正満は、郵便貯金会館で行われた防火管理者理事会に出席し、消防署の担当者から「消防法の改正により、昭和四八年度から防火管理者の資格が厳しくなつて、ある程度の権限を有する者が防火管理者にならなければ積極的に取り組まず、防火体制の確立が難しいこと、カーテンは防煙加工か防燃加工をしたものでなければならず、掲示板も不燃物にすること」などの説明を受けるとともに、消防法改正の内容を記載したパンフレツトを貰つた。右理事会から帰社した被告人園田正満は、掲示板をよく使用する企画課に消防法の改正内容を注意させるため、右パンフレツトを持つて行き、同課係員に渡して回覧するように言い、その二、三日後に右パンフレツトが企画課から被告人園田正満の許に戻つてきたので、今度は人事部長の被告人山内藤吉に対して消防法の改正内容を報告し、右パンフレツトを同被告人に渡した。

(3)  昭和四八年一月二六日、被告人園田正満は、前記(2) の防火管理者理事会に出席した際、消防署の担当者から消火器の検印が変更されたことを聞いたため、株式会社太洋に消火器を納入していた株式会社末吉商会に連絡して同商会の担当者と一緒に店舗本館、第一別館及び第二別館の各階の消火器を点検して回つたところ、消火器の薬品を詰め替えなければならないものが二一本あることや、消火器の本数が二〇本不足していることが判明し、自己の判断でその見積書を同商会の担当者に提出させた。

しかし、株式会社太洋では物品購入の稟議書の決裁を受けるためには、二社の見積書が必要であつたことから、被告人園田正満は、昭和四八年二月一四日三輝物産株式会社の担当者とも連絡をとり、右の見積書を提出させたうえで、同月二四日「既設消火器の整備点検及び消火器不足分の購入」についての稟議書を作成して決裁に回し、同月二七日に常務取締役山内友記らの決裁を受け、三輝物産株式会社から前記消火器などを購入することとした。

そして、被告人園田正満は、昭和四八年三月一二日から同月一七日までの間、各階の課長らの意見を聞いたうえで、三輝物産株式会社の担当者と一緒に新規に購入した消火器を各階に取り付けるとともに、消火器の薬品の詰め替え作業を行い、右取り付けに立ち会つた各階の従業員らに消火器の使用方法を説明するなどした。

(4)  昭和四八年二月二四日、被告人園田正満は、消防署の春の防火運動のポスターを株式会社太洋の庶務課主任の守山正治から受け取り、これを貼る場所について人事部長の被告人山内藤吉に相談したところ、同被告人から企画宣伝部に右ポスターを渡すように指示されたため、宣伝課課長の金子芳則に右ポスターを渡した。その結果、金子芳則は、右ポスターを店舗本館の客用階段の踊場の壁などに貼付した。

(5)  昭和四八年二月二七日、被告人園田正満は、店舗本館の東側の下通りセンター新天街の商店を対象とした消防訓練が同月二八日に行われるということを聞き、これに株式会社太洋も参加する必要があるかどうかを熊本市中央消防署予防課係員に電話で問い合わせ、右係員から同日午前六時三〇分から午前八時三〇分まで訓練が行われるが、これは消防署の中の消防隊の訓練であり、サイレンが全市に鳴るので火災と間違えないようにしてほしいとの回答を得た。

そこで、被告人園田正満は、二四時間勤務をしている株式会社太洋の保安課の従業員が混乱しないようにするため、同課従業員に対し、右訓練の行われることを電話で連絡した。

(6)  昭和四八年四月一九日、熊本市中央消防署の店舗本館地階の火気使用状況に対する特別査察が行われることとなり、その旨株式会社太洋の保安課従業員から連絡を受けた被告人園田正満は、防火管理者資格講習会受講者である同社経理部第二課の音光寺正己の応援を求めたうえ、地階食料品部第二課長の野田逸喜と共に右特別査察に立ち会つた。

右特別査察の結果については、熊本市中央消防署長から昭和四八年四月二四日付けで「火気を使用する地下店舗の特別査察について」と題する書面が株式会社太洋宛に送られ、その書面中に喫茶部の都市ガスゴム管にホースバンドを取りつけることなどが指摘されていたので、被告人園田正満は、右書面を野田逸喜らに閲覧させて注意を促した。

(7)  昭和四八年五月三一日、店舗本館の駐車場で客の乗用自動車が火災を起こしたため、株式会社太洋の配送課の従業員らが消火器を使用して右火災を消し止めたが、その際被告人園田正満は、同課の従業員から消火器のうち古いものがあつて使用しても効果がなかつたので大型の消火器を使用したということを聞き、自己の判断で、その日のうちに三輝物産株式会社に対し、右消火に使用した消火器の薬品の詰め替えを注文した。

また、昭和四八年八月三一日にも店舗本館七階食堂の従業員から料理中の油に火がついたため消火器を使用したとの連絡を受けたため、三輝物産株式会社に対し、右消火に使用した消火器の薬品の詰め替えを注文した。

(8)  昭和四八年一〇月一八日と同年一一月一五日の二回にわたり、被告人園田正満は、熊本市中央消防署予防係長の野村功から、同年一一月二六日より同年一二月二日までの間の火災予防週間に消防署と合同で防火避難訓練を実施したい旨の電話連絡を受けたが、店舗本館が増改築工事中であることなどを理由に明確な返事をしなかつたため、結局右訓練は実施されないままであつた。

以上の事実関係によると、被告人園田正満は、昭和四七年一二月一五日付けで株式会社太洋の防火管理者として株式会社太洋取締役社長山口亀鶴名で熊本市消防長に届け出られ、その後本件火災まで、熊本市建築指導課や熊本市中央消防署の消防関係に関する検査の立ち会い、消防署から配付された印刷物の回覧や掲示、消火器の点検や薬品の詰め替え、消防署との連絡や打ち合わせなど防火管理者の行うべき業務に実質的にも従事していたことが認められる。

すると、被告人園田正満は、本件火災当時、株式会社太洋の防火管理者の地位にあつたものであり、消防法八条一項により、店舗本館についての消防計画の作成、当該計画に基づく消火、通報及び避難の訓練の実施、消防の用に供する設備、消防用水又は消火活動上必要な施設の点検及び整備、火気の使用又は取扱いに関する監督、避難又は防火活動上必要な構造及び設備の維持管理並びに収容人員の管理その他防火管理上必要な業務を行うべき義務を負つていたのであるから、前記第二の二で認定した本件公訴事実中の肯認しうる結果回避措置のうち、消防計画を作成し、これに基づいて消火、通報及び避難誘導などの訓練を実施する措置及び避難階段であるC号階段に商品を入れたダンボール箱を放置させないようにする措置をとるべき義務を負う立場にあつたということができ、これが同時に同被告人の防火管理者としての刑法二一一条にいう「業務」であることもまた明らかである。

なお、消防法施行令は、昭和四七年一二月一日政令第四一一号により、消防法八条一項の防火管理者の資格として、同法施行令三条中に「当該防火対象物において防火管理上必要な業務を適切に遂行することができる管理的又は監督的な地位にあるもの」という要件を付加し、昭和四八年六月一日から施行されたが、これは防火管理者制度を実効的ならしめるための措置であるから、右の「管理的又は監督的な地位」というのは、防火管理者として選任された者が消防法令上の防火管理業務を実際に遂行することができる地位にあることをもつて足りると解される。

本件において、被告人園田正満は、前記のとおり昭和四七年一二月一五日付けで株式会社太洋の防火管理者に選任された後、実質的にも防火管理業務を遂行していたものであり、また、本件の注意義務である店舗本館についての消防計画を作成し、これに基づいて従業員に対し、消火、通報及び避難誘導などの訓練を実施するという防火管理業務を遂行することができたことについては、後記(二)の(2) に記載のとおりであることに照らすと、被告人園田正満において消防法施行令三条の「管理的又は監督的な地位」の要件に欠けるところはないということができる。

しかしながら、前記第二の二で認定した本件結果回避のための措置のうち、本件公訴事実中の自動火災報知設備及び店舗本館北側の増築工事と店内の防火設備工事期間中、同工事に伴い撤去された既設の非常階段に代る避難階段を設置し、その他誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備を設置する措置については、被告人園田正満は右の措置をとるべき義務を負う立場にはないといわなければならない。

すなわち、右の措置のうち、自動火災報知設備、誘導灯、必要数の救助袋、避難梯子などの避難設備については、消防法一七条、一七条の二、消防法施行令七条、二一条、二五条、こ六条、三四条の二により、これらを店舗本館に設置することが義務づけられているところ、その設置義務を負う者は、消防法一七条の「政令で定めるものの関係者」、すなわち同法二条四号所定の「所有者、管理者又は占有者」である。そして、株式会社太洋では、代表取締役社長の山口亀鶴が店舗本館における消防法一七条の関係者であると解される。

すると、防火管理者である被告人園田正満には、前記避難設備の設置義務はないことが明らかである。

次に、代替の避難階段の設置については、消防法令あるいはその他の法令上、防火管理者に対してこれを設置すべきことを命じた規定は存せず、被告人園田正満にはその設置義務がないと認められる。

なお、自動火災報知設備については、原判示のとおり、昭和四七年一二月一日政令第四一一号による消防法施行令の一部を改正する政令によつて同施行令三四条が改正されたため、店舗本館についても右設備の設置義務が生じたが、右政令の附則二号において、「昭和四十八年六月一日において現に存する防火対象物又は現に新築、増築、改築、移転若しくは模様替えの工事中の防火対象物における自動火災報知設備、漏電火災警報器、非常警報設備及び避難器具に係る技術上の基準については、昭和四十九年五月三十一日までの間、改正後の消防法施行令第二十一条第一項、第二十二条第一項、第二十四条第三項及び第二十五条の規定にかかわらず、なお従前の例による。」とされていたため、昭和四九年五月三一日まで自動火災報知設備の設置義務が猶予されていたところ、前記第二の一の1において認定した第一の二の(1) の増築工事にともなつて消防法一七条の二第二項、消防法施行令三四条の二により、自動火災報知設備の設置義務が生じ、前記第二の一の3のとおり現に設置工事中であつたものである。

(二) 被告人園田正満が本件結果の発生を予見し、その予見に従つて結果の発生を回避することが可能であつたことについて

(1)  被告人園田正満の本件結果発生の予見可能性について

前記第二の一の1において認定した第一の二の(1) の店舗本館の建物の規模、構造、利用状況及び増築工事の進捗状況、同(8) の消防用設備の設置状況並びに前記第二の一の3の店舗本館の改修工事の状況などに照らすと、営業中の店舗本館で一旦火災が発生したときは、早期の火災発見と適切な消火、通報及び避難誘導を欠けば、在館中の多数の者を死傷に至らしめる危険があることは、百貨店の防火管理者一般にとつても容易に予見しうるところであるといわなければならない。

すると、株式会社太洋の防火管理者である被告人園田正満は、右の予見に従つて本件結果の発生を回避するため、店舗本館について消防計画を作成し、これに基づいて日頃から従業員に対し、消火、通報及び避難誘導などの訓練を実施すべきであつたことが認められる。

しかしながら、本件火災以前において、被告人園田正満と同様百貨店の防火管理者の地位にある一般通常人が、店舗本館のC号階段の商品入りダンボール箱から出火し、その出火により右ダンボール箱が延焼することを予見できないことについては、被告人酒井實について説示したところと同一であるから、右ダンボール箱からの出火を前提として、被告人園田正満がC号階段に右ダンボール箱を放置させないようにする措置をとるべき注意義務はないといわなければならない。

(2)  被告人園田正満が本件結果を回避することが可能であつたことについて

被告人園田正満の当審公判廷における供述によると、前記第二の六の1の(一)において認定したとおり、同被告人が防火管理者に選任された後に消防署の立入検査に立ち会つたのは、昭和四八年四月一九日の店舗本館地階の火気使用状況に対する特別査察だけであるが、同被告人は、本件火災以前において、熊本市中央消防署が昭和四六年七月九日に行つた立入検査の結果通知書を見たことがあり、その通知書に「消防計画書を作成し、計画書を提出すること。なお、当該計画書に基づく訓練を実施すること。」などと記載されていたにもかかわらず、株式会社太洋では右通知書の指摘事項が改善されていないのを知つていたこと、また、被告人園田正満は、昭和四六年六月に防火管理者資格講習会を受講した際、防火管理者の責務や消防計画の作成の仕方などの講義を受け、右講習会を受講した後、消防計画の立て方や雛形などが記載されている「防火管理の知識」という本の配付を人事課から受けて自分の手元に置いていたことが認められる。

さらに、原審第三五回公判調書中の証人片岡秀寿の供述部分、同第四一回公判調書中の証人谷口肇の供述部分、同第四二回公判調書中の証人高木雅生の供述部分、同第五〇回公判調書中の被告人山内藤吉の供述部分、同第五四回公判調書中の公訴棄却前の相被告人山内友記の供述部分、同第五六回公判調書中の証人山口博文の供述部分、山内友記の検察官に対する昭和四九年八月二〇日付け供述調書、谷口肇及び山口博文の検察官に対する各供述調書、原審で押収の書類綴一冊(原庁昭和五〇年押第四九号の11)、同禀議書綴一冊(同号の40)によれば、株式会社太洋では、代表取締役社長を頂点として常務取締役、部長、次長、課長、課長代理、主任、従業員という職制が設けられ、新規な事項及び多額の費用を必要とする事項については稟議書による決裁を受けなければならず、稟議者が起案した稟議書を関係の課長、部長の稟議を経て常務取締役及び社長の決裁を受けていたが、そのうちの常務取締役の決裁については、同社の系列会社である太洋シヨツピングセンター株式会社を担当している常務取締役片岡秀寿を除く四名の常務取締役山口博文、山内友記、谷口肇、松本進のうち二名の決裁があればよいことになつていたことが認められる。

以上の事実関係によれば、被告人園田正満は、店舗本館について消防計画の作成もこれに基づく消火、通報及び避難誘導の訓練なども実施されていないことを認識していたものであり、前記第二の六の1の(一)において認定したとおりの防火管理者としての業務を執行していたのであるから、同被告人において本件火災の発生以前に、店舗本館についての消防計画案とこれに基づく消火、通報及び避難誘導の訓練などを従業員らに実施させることについての稟議書を起案し、これを株式会社太洋の常務取締役の山内友記ら及び代表取締役社長である山口亀鶴の決裁に回すことは充分に可能であつたと認められる。

そして、右の消防計画や防火訓練に関する稟議書の決裁権者である株式会社太洋の常務取締役や代表取締役社長らの認識について見るに、山口亀鶴作成の上申書には「消火通報及び避難の訓練は防火管理者の責任において実施すべきだつたと思う」旨の記載があること、原審第五四回及び第五五回公判調書中の公訴棄却前の相被告人山内友記の各供述部分には「株式会社太洋全体の消火、通報、避難訓練の計画立案は防火管理者の園田正満がやるべきだつたと思う。」旨の記載があり、山内友記の検察官に対する昭和四九年八月二一日付け供述調書にも同旨の記載があること、谷口肇の検察官に対する供述調書には「園田が防火の事について上司に相談する必要がある場合には人的な面は山内人事部長、経理の面なら私、その他の面なら上席の山内友記常務に相談すべきだつたと思います。」との記載があること、山口博文の検察官に対する供述調書には「園田が防火対策を上司に相談するとすれば山内常務か人事部長にすべきだつたと思いますが、どちらかと言えば人事部がもつと防火対策を考えるべきだつたと思います。」との記載があることに照らすと、被告人園田正満が前記稟議書を決裁に回しておれば、これが常務取締役あるいは代表取締役社長らの決裁を受けて実施に移されたであろうことが認められる。

2 被告人園田正満の本件注意義務違反と結果発生との間の因果関係の存在について

前記第二の四の2において認定したとおり、株式会社太洋では店舗本館についての消防計画の作成も、従業員に対する消火、通報及び避難誘導の訓練もなされていなかつたのであるから、被告人園田正満が消防計画を作成し、当該計画に基づき従業員に対し避難誘導の訓練を実施すべき注意義務に違反していることは明らかである。

そして、被告人園田正満の右の注意義務違反がなかつた場合には、本件死傷の結果を回避することができたと認められることについては、前記第二の二で説示したところである。

3 まとめ

以上のとおり、被告人園田正満は、株式会社太洋の防火管理者として、店舗本館についての消防計画を作成し、当該計画に基づいて従業員に対し、避難誘導の訓練を実施すべき業務上の注意義務を負つていたにもかかわらず、同被告人において実行することが可能であつたと認められる右注意義務の履行を怠つたため、本件火災当時、店舗本館三階以上の各階で在館者を死傷するに至らしめたものであるところ、原判決は証拠の取捨選択及び評価を誤つて右の事実を認定しなかつた事実誤認の違法があるといわなければならない。

七  結論

以上のとおりであつて、原判決には検察官指摘の事実誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は到底破棄を免れないものである。論旨は理由がある。

第三破棄自判

よつて、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに自判する。

(罪となるべき事実)

被告人山内藤吉は、熊本市下通一丁目三番一〇号所在の百貨店を営む株式会社太洋の取締役として、同社代表取締役山口亀鶴を補佐して、従業員及び客らの安全を図るべき業務に従事していたもの、被告人酒井實は、同社の営業部第三課長であつて、店舗本館三階の火元責任者として、受持ち区域内における火災の予防及び消火、通報、避難の訓練の実施並びに火災発生時には部下を指揮して消火、通報、避難誘導などを行う業務に従事していたもの、被告人園田正満は、同社の防火管理者として、店舗本館について、消防計画の作成、当該計画に基づく消火、通報及び避難の訓練の実施、消防の用に供する設備などの点検及び整備、避難又は防火上必要な構造及び設備の維持管理その他防火管理上必要な業務に従事していたものであるところ、昭和四八年一一月二九日午後一時過ぎころ、営業中の右百貨店店舗本館西南隅所在の避難階段であるC号階段の二階踊場から三階への上り口付近から出火し、火は上層階に燃え拡がり、店舗本館の三階以上(床面積合計一万二五八一平方メートル)の内部がほぼ全焼するに至つたが、営業中の店舗本館には、不特定多数の客及び多数の従業員を収容していた上、右火災当時、店舗本館北側の増築工事と店内の防火設備工事とが施工中で、既設の北側非常階段が撤去され、避難階段が西側に偏在する状態となり、店舗本館の窓は、その殆どがベニヤ板などで覆われ、店舗内には可燃性商品が大量に陳列されていたので、万一火災が発生した場合には、容易に他に延焼し、避難誘導などに適切を欠けば、多数の生命、身体に危害を及ぼす危険のあることが当然予測されたのであるから、火災発生時における店舗本館内の従業員及び客らの生命、身体の安全を図り、死傷者の発生を未然に防止するため

一  被告人山内藤吉及び被告人園田正満は、いずれも消防計画を作成し、火災が発生した場合にはすみやかに消火し、早期に従業員らに通報して右在館者らが安全に避難できるよう当該計画に基づいて各種の訓練を実施すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これをそれぞれ怠つた過失により、前記出火の際、多数の客、工事関係者及び従業員に対する適切な通報及び避難誘導をすることができず、逃げ場を失わせて火災を浴びたり、多量の煙を吸引したり、転倒したりするなどさせ、あるいは、五階や六階の窓から階下へ転落もしくは飛び降りたり、八階屋上から北側増築工事現場ヘロープで滑り降りたりして脱出するのやむなきに至らしめるなどし、その結果、別表第一記載のとおり(但し、前記第二の一の1で訂正)、新美亀喜ら一〇四名をそれぞれ死亡させ、かつ、別表第二記載のとおり(但し、前記第二の一の1で訂正)、野田美津恵ら六七名をそれぞれ負傷させ

二  被告人酒井實は、前記出火の際の午後一時二〇分ころ、火災発生を知らされてC号階段に赴いたときに、同階段の二階踊場から三階への上り口付近で発生した火災が同階段壁際に置かれていた商品入りダンボール箱を次々に焼毀して、同階段二階と三階の中間を過ぎた付近まで燃え拡がつている状況であつたのであるから、右状況を把握し、部下従業員を指揮して直ちにC号階段三階入口の防火シヤツターを閉鎖して三階店内への延焼を防止すべき業務上の注意義務があるにもかかわらず、これを怠り、三階売場の同階段入口付近から一見したのみで火煙の程度及び状況を十分確認せず、消火器のみで容易に消火できるものと軽信し、消火器で消火しようとしたため、右シヤツターを閉鎖する機を逸した過失により、三階から五階までの各階店内に延焼させ、右各階店内において客、工事関係者及び従業員に逃げ場を失つて火炎を浴びたり、多量の煙を吸引したり、転倒したりするなどさせ、あるいは、五階の窓から階下へ転落もしくは飛び降りて脱出するのやむなきに至らしめるなどし、その結果、別表第一記載のうち番号1ないし42及び104記載のとおり(但し、前記第二の一の1で訂正)新美亀喜ら四三名を死亡させ、かつ別表第二記載のうち番号1ないし19記載のとおり(但し、前記第二の一の1で訂正)野田美津恵ら一九名をそれぞれ負傷させたものである

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)

被告人三名の判示各所為はいずれも刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、右はいずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により、それぞれ一罪として犯情の最も重い別表第一の番号104の井本義盛に対する業務上過失致死罪の刑で処断することとし、所定刑中いずれも禁錮刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人山内藤吉を禁錮二年に、被告人酒井實を禁錮一年に、被告人園田正満を禁錮一年六月にそれぞれ処し、情状により刑法二五条一項を適用して、被告人三名に対し、この裁判確定の日からいずれも三年間右各刑の執行を猶予することとし、原審における訴訟費用の全部及び当審における訴訟費用中、証人古閑光男、同片岡秀寿、同谷口肇、同細井三郎(但し、昭和六一年一一月二六日及び同年一二月一五日に支給決定のもの)、同守山正治に各支給した分は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりその三分の一ずつを各被告人に負担させることとする。

(一部無罪の理由)

被告人酒井實に対する本件公訴事実中、別表第一の番号43ないし103の各死亡者及び別表第二の番号20ないし67の各負傷者については、前記のとおり、たとえ同被告人がその注意義務を尽くしていたとしても、右の死傷の結果を確実に回避することができたと認めるに足りる証拠は存しないので、右の死傷者に関する業務上過失致死傷の点は、犯罪の証明がないといわざるをえないが、右の死傷者とその余の有罪となつた本件各被害者に対する同被告人の所為は、科刑上一罪(観念的競合)の関係にあるとして公訴を提起されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡しをしない。

(量刑の理由)

本件は、被告人らの過失により、多数の客、従業員及び工事関係者の在館する営業中の百貨店が大火災を起こした際に、一〇四名を死亡させたのみならず、六七名に重軽傷を負わせたという未曾有の事件で、火炎と有毒ガスを含む煙の充満により、逃げ場を失つて窒息あるいは一酸化炭素中毒などのため、むなしく一命を奪われた被害者の無念と苦痛には察するに余りあるものがあり、また、幸いにして死を免れて負傷したに止まつた被害者のなかには、急性ガス中毒症のため発語不能、知的機能障害等の中枢神経障害の後遺症を残す者を初めとして、店舗本館五階あるいは六階から煙に追われ飛び下りて脱出した際の骨折などにより長期間の入院加療を余儀無くされた重症者が少なからず存することに徴すると、その結果は悲惨かつ重大であるといわなければならない。本件の遺族らの被害感情にも厳しいものがあり、そのなかには見るも無残なほど焼け焦げた遺体の引き取りを自己の妻ではないとして拒否した者さえもあつて、心情察するに余りあり、遺族らが口をそろえて株式会社太洋の火災等の災害に備えた店舗本館の安全体制の欠陥を非難しているのも当然といわなければならない。

本件の結果を生じた原因の一つとして、多数の者が出入りし、かつ、勤務する百貨店を営む株式会社太洋が、消防法令の規定の存否にかかわらず、右の者らの安全を確保するため、会社として消防計画を作成し、従業員に対して消火、通報、避難誘導等の訓練を実施しなければならないにもかかわらず、これを怠つたことを挙げることができるところ、被告人山内藤吉は、株式会社太洋の最高の意思決定機関である取締役会の構成員として、本件火災の以前から同社において行うべき右の義務を懈怠していることを認識し、かつ、日頃から防火管理業務に関心を持つて防火管理者である被告人園田正満及びその他の従業員に助言し、指導するなどしていたにもかかわらず、取締役としての責務を果たさなかつたものであり、その過失を軽視することは許されない。また、被告人酒井實は、本件火災が店舗本館三階店内に延焼する以前に、C号階段の防火シヤツターを閉鎖することによつて同店内への延焼を防止することができたにもかかわらず、的確な状況把握と判断を誤つたため、右防火シヤツターの閉鎖時期を逸したものであり、三階における初期消火及び延焼防止等の最高責任者としての過失を看過することはできない。そして、被告人園田正満は、株式会社太洋の店舗本館についての防火管理者として、消防法令で定められた消防計画の作成とこれに基づく消火、通報及び避難誘導等の訓練を行うことが可能であつたにもかかわらず、これを怠つたものであり、店舗本館の防火管理業務を担当する直接の責任者としての過失は重いというべきである。

しかしながら、株式会社太洋は、昭和五五年一二月一六日に死亡した井本義盛を除くその余の死亡者の遺族並びに負傷者の本田萬治との間で示談あるいは裁判上の和解を成立させて損害賠償金の一部の支払いをなし、負傷者の治療費を負担するなどして被害弁償のために最大限の努力を尽くし、会社更生法による更生手続き開始後も昭和五六年三月三一日までに井本義盛の遺族を含む全遺族並びに負傷者に対する補償金として総額一二億五六八七万余円の弁済を実施していること、本件火災後死亡した同社代表取締役社長山口亀鶴の遺族において有価証券及び住居等二二億円余りの私財を株式会社太洋に提供して前記の被害弁償に協力するなどしていること、本件の最大の原因は、第一次的には株式会社太洋の代表取締役であり、かつ、店舗本館について消防法八条の管理権原を有し、同法一七条の関係者として最高責任者であつた右山口亀鶴が率先して行うべきであつた消防計画の作成とこれに基づく消火、通報及び避難誘導等の訓練の実施や消防法令所定の緩降機などの消防用設備等の備え付けを怠つた過失によるものであることに鑑みるときは、株式会社太洋の一四名の取締役のうちの一人であるに過ぎない被告人山内藤吉については、同被告人のみに取締役としての重い責任を負わせるのはいささか酷な点もあるといわなければならないこと、被告人酒井實については、C号階段の防火シヤツターを閉鎖することが可能であつたとはいえ、前記のとおり同被告人が本件火災を発見してから店舗本館三階店内に延焼するまでの僅かな時間に、瞬時の困難な判断を要求された同被告人に強い非難を加えることは必ずしも妥当とはいえないこと、被告人園田正満については、もともと店舗本館の消防計画などは前任の防火管理者である営繕部長の古閑光男の時代から確立されていなければならないものであるのに放置されていたあとを同被告人は引き継いだもので、役付ではなく一営繕課員に過ぎないのに防火管理者の重責を負わされ、昭和四八年六月以降防火管理者の資格が厳しく要求されることになつても、その選任事務を担当する人事部長の被告人山内藤吉によつて検討されることもなく継続して担当させられていたものであること、被告人三名にはこれまで前科、前歴が一切なく、真面目に社会生活を送つてきたものであることなど、被告人三名にとつて考慮すべき諸情状が認められるので、それぞれ刑の執行を猶予するのが相当である。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 生田謙二 裁判官 池田憲義 裁判官 陶山博生)

別表第一 死亡者一覧表<省略>

別表第二 負傷者一覧表<省略>

別表第三<省略>

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